企業法務マンサバイバル

企業法務を中心とした法律に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きるすべてのビジネスパーソンに貢献するブログ。

著作権

【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL 2015年 3月号 ― 水野祐先生による連載「法のデザイン」に注目

 
数ある法律雑誌の最近の連載記事の中で、最も新味が感じられ楽しみにしているのが、シティライツ法律事務所の水野祐先生による「法のデザイン ― インターネット社会における契約、アーキテクチャの設計と協働」(@ビジネスロー・ジャーナル)です。





しかも、今回は「ゲームのリーガルデザイン(1)」ということで、現在エンタメ業に従事する私としては見逃せない記事。

本連載における「アーキテクチャ」とは、法律や規範(慣習)とは異なり、人間の行為そのものを技術的、物理的にコントロールする仕組みのことをいう。
インターネットだけでなく、ゲーム内の仮想空間もまたアーキテクチャの設計が妥当する。いや、むしろアーキテクチャの設計という観点からは、ゲームはインターネットに先行している分野といえる。ゲームには、現実世界におけるゲームを取り巻く情報環境というアーキテクチャと、ゲーム内で設計された仮想空間としてのアーキテクチャという二つのアーキテクチャが存在することになる。これが他のコンテンツと比較した、ゲームの特徴であるということも可能であろう。

この一節に、なるほどなー、まさにアーキテクチャと法律・契約が交錯するところだから、自分はオンラインゲームの法的問題を考えるのが好きなんだなー、などと独りごちお茶を飲みながらリラックスモードで読んでいたところで、脚注でそのお茶を吹きました。

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水野先生と先日SNSか何かでおしゃべりした際に、「はっしーさんのアレ参考にさせてもらいましたよ」的なことを言われた記憶はあったのですが、よりによってあの(幼稚な)自説がここで晒されたか・・・と。あとでしらっと修正しようかと思ってたのに、もう直せない(笑)。

さておき、先生がこの連載でも述べられているように、エンタメ業にいるものとしては、法律・契約だけでは解消できないことがらがたくさんある中でも、この二次創作との「戦いと共存」状態はさらに混沌としてきている実感があります。個人的には、エンタメコンテンツについては、(従来の権利者が事後の権利処理の容易さ・有利さから意図的にそうしてきたような)「映画の著作物」として束にして考えるのをあえてやめ、映像(影像)の著作物、BGMの著作物、音声の著作物、文字の著作物、プログラムの著作物、プログラムの特許、パブリシティ権、キャラクター権…といった一つ一つの細かい権利に解体して捉えていくことで、こういった問題とも対峙しやすくなるのかな、といったアイデアを温めているのですが。


次号も、位置情報やVRを活用したゲームの法とデザインについて語っていただけるとのこと。本連載が息の長いものになって、日頃ミステリアスな雰囲気漂う水野先生の頭の中・考えていることが一つでも多くご披露いただけることを楽しみにしてます。
 

コントロール権の狭間にて ― 著作権、プライバシー権、そしてプラットフォーマーの流通権


ここ数年、法務として現場から相談を受けていて回答に悩むポイントに、ひとつの共通点があるように思っています。

 コントロール権を肯定・保護し、創造者への利益還元を追求させるべきか?(方向性1)
 コントロール権を否定・放棄し、利用者への拡散と自由利用をドライブさせるべきか?(方向性2)


このバランスの取り方・見極めが、非常に難しい時代になってきているということです。
古くは、エンタメコンテンツと著作権の問題然り。
最近では、パーソナルデータとプライバシー権の問題然り。


前者の著作権の問題については、音楽や映像やゲームといったコンテンツを創る側のビジネスに携わっている方は、もう数年前から身に沁みて理解されていることでしょう。企業法務の立場からは当たり前だった方向性1を一辺倒に主張する時代はダサいものとされ、クリエイティブ・コモンズに代表される、シェアされて・知られて・使われてナンボの、方向性2を追求する時代へと一気に変化しました。まず先に拡散と自由利用がなければ自己への利益還元もないだろう、というわけです。一方で、iTunesミュージックの売上が失速するのと同時に、Taylor SwiftがSpotifyでの音楽配信を拒絶し方向性1を主張しだしたことにも象徴されるとおり、方向性2に突き進むことが必ずしも正解ではなさそうだ、ということもあらわになっています。

テイラー・スウィフト、Spotifyから全アルバムを削除「音楽は無料であるべきではない」
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10月27日にリリースされたテイラー・スウィフトの最新アルバム「1989」は、TargetとiTunesのみ入手可能で、音楽ストリーミング配信サービスのSpotify では配信されなかった。これは、レコードレーベルがアルバムセールスを伸ばすためによく行う販売戦略の一環であり、「Windowing」と呼ばれている。さらに、彼女と彼女のレコードレーベルは、「1989」だけでなく、過去の全アルバムをこのSpotifyから削除することを決めた。

後者のプライバシー権の問題については、いままさに、パーソナルデータというコンテンツを創る側の人の利益と、その解放を望む人との間で、せめぎ合いが起こっているところです。日本においては政府が国策として方向性2の追求を表明し、企業がそれを歓迎し、方向性1が当たり前だった個人がそれに戸惑いをみせている、というフェーズに見えます。

匿名化条件、本人同意なしで利用可 ビッグデータ活用へ政府検討会
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 政府のIT総合戦略本部の検討会は19日、インターネット上などに蓄積されている個人関連データの取り扱いルールをまとめた大綱案を示した。商品の購買履歴など一部のデータは本人の同意がなくても匿名化を条件に企業の利用を認めることを明記した。個人情報を保護する観点から、不正利用を監視する第三者機関の設置も盛り込んだ。
 政府は月内にも大綱を正式に決め、個人情報保護法の改正案を来年の通常国会に提出する予定。「ビッグデータ」と呼ばれる膨大なデータを有効活用することで、ビジネスチャンスを広げる狙いがある。ただ、プライバシーをきちんと保護できるかどうかなど、慎重な対応を求める声も上がりそうだ。


さて、そんなせめぎ合いの中で、気付けばいつの間にか、創る側の自己の利益の追求と拡散・自由利用を望むとの間で発生する「コントロール権の融通(流通)」を取り仕切るプラットフォーマーと呼ばれるプレーヤー達が、強者へと成長しています。この存在の大きさは、“流通権”の保有者と呼んでも差し支えないほど。この点、先日出版された中山『著作権法 第2版』P38にも以下のような言及がありました。


著作権法 第2版
中山 信弘
有斐閣
2014-10-27


今後の著作権制度の将来を占うにあたり、巨大なプラットフォーマの存在を抜きにしては語ることができない。現にGoogle、Apple、Amazon、Facebookといった巨大プラットフォーマの寡占が進みつつあり、個々の著作権者にいかに強い権利を与えたとしても、その作品を公表するにあたっては、プラットフォーマが定めた条件に従わざるを得ず、例えば音楽は1曲99セントで売らざるを得なくなるおそれがある。そうなると著作物はコモディティ化し、個性を失い、あたかも100円ショップで売られている商品のようなものとなるおそれもある。それがどのような結果をもたらすのかは歴史の判断を待たなければならないが、現在はそのような過渡的な状態にあるという認識は必要であろう。


私自身、スマホエンタメコンテンツを創る企業に所属している企業法務パーソンであると同時に、SNS等を通じてパーソナルデータというコンテンツを創りまた他人のそれを利用している一個人でもあり、その二つの流通過程でプラットフォーマーとお付き合いをしています。そんな中で、冒頭述べた「コントロール権」について考えるに、正しいバランスがどこにあるかの読みづらさを生んでいるのは、コントロールの主導権争いが、創造者と利用者の二者だけでなく、それを流通させる人も含めた、三つ巴状態で発生しているからなのだと。

人と企業の活動がネットワーク技術に依存する社会になればなるほど、プラットフォーマー=流通権者たらんとする企業との法的な関係は、企業法務においての大きな論点になっていくものと、改めて強く感じています。
 

【本】フリーカルチャーをつくるためのガイドブック ― 著作権はやがて“コミュニケーション受益権”へ

 
この本の紹介の前に、今日はまず自分の体験談からさせていただこうと思います。


フリーカルチャーをつくるためのガイドブック  クリエイティブ・コモンズによる創造の循環フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環
著者:ドミニク・チェン
販売元:フィルムアート社
(2012-05-25)
販売元:Amazon.co.jp




「音楽はパーツ」論


私は高校時代から、今もなお懲りずにバンドをやっています。グラインドというノイズあふれるジャンルの音楽でして、ほぼすべてオリジナル曲でこれまでに自主制作で2枚のアルバムをリリース、今月にも久しぶりに3枚目をリリースして、秋にはライブもやろうかと計画をしているところです。

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こういう話をすると、「なんでプロにならなかったの?」と聞かれます(実際skype英会話でフィリピン人講師に自己紹介するたびに毎日聞かれてます…)。もちろん聞いているほうもそんなに真剣に尋ねていらっしゃるわけではないでしょう(笑)が、当時は高校生〜大学生なりに音楽の道で飯を食うことを考えていたこともありました。しかし、その時にはすでに、これからはCDを作ってそれを売って飯を食うというのは成立しなくなるということを直感していました。

決定的だったのは、大学時代にビートルズのコピー以外禁止という超ストイックなビートルズバンドサークルに入って、160曲以上をひたすらコピーしたこと。ビートルズを聴くだけでなくそこまで演りつくすと、すべてのボップス・ロックが「ビートルズのあの曲のこの部分とこの部分の組み合わせ」という風に聞こえてくる病気にかかります。

そんな体験を通して私が当時思ったこと。

「バンド音楽というものは、楽器・音階・リズムという世界共通の仕組み・ルールで構成されている以上、ある一定の組み合わせのバリエーションでしかない。しかもその美味しいところはビートルズがすべてやり尽くしてしまっている。後に生まれたものはすべてそのコピーかアレンジほどの価値しかない。」

ちょっと暴論かもしれませんが(笑)、いずれにせよ、人のコピーやアレンジみたいに聞こえてしまうような“作品もどき”でお金を取れる時代は早晩終わるな、と確信していました。

そのうち、バンドメンバーがみな社会人になって忙しくなると、バンドは一人でできないので、今度は一人でできる音楽活動、DJに手を出します。DJがやることといえば、右側のターンテーブルと左側のターンテーブルで違う曲をかけてそれをヘッドホンで聞きリズムをあわせながら、ベストなタイミングで外のスピーカーに出力する音を切れ目なくつなぎ、別の曲のように仕立てながら、オーディエンスを楽しませること。

せっかく作曲者が曲のはじまりから終わりまでで一つの完成された作品を作っているのに、そのせっかくの作品を分解・解体し、“パーツ”として使うわけです。作曲者からするとなんたる失礼な行為という感じです。実際にDJやる前は、DJなんて楽器が弾けないやつが人の曲を使って負け惜しみでやっているお遊び、そうとしか思えませんでした。

しかし実際にやってみると、楽器・音階・リズムという“バーツ”から組み立てて音楽を作るのではなく、すでにある曲から“パーツ”を取り出し組み合わせてあたらしい音楽をつくる感覚が新鮮で、しかも楽器を引くよりも難しく、かつ音階やリズムをパクって別の曲のように装うよりもストレートに原曲を(パーツとして)使う点でよっぽど正しいことのように感じたのです。そして、この体験を通してこう思いました。

「自分の作品の一部がこんな風にパーツとして扱われだしたとき、そのパーツに払われるお金はさらに微々たるものになるだろう。そのとき、自分がその作品・パーツの制作者だったら、何に報いを求めるだろうか。それは著作権にもとづく対価請求権とは違うものなのではないか。」

丁度この頃、iPod/iTunesブームが到来し、アルバムというアーティストにとっての作品が解体されて1曲150円のパーツ単位で販売され、著作物のパーツ化・低価格化がさらに進むことは間違いのないものとなっていきます。そのあたりの著作権とDJのようなパーツ的創作活動との間のギャップに関する思いは、クリエイティブ・コモンズの提唱者の一人でもあるローレンス・レッシグが書いた『REMIX』の書評エントリにも書いています。


ゆっくりと、著作権を“コミュニケーション受益権”に変えていく


さて、この本の話題に戻りましょう。


フリーカルチャーをつくるためのガイドブック  クリエイティブ・コモンズによる創造の循環フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環
著者:ドミニク・チェン
販売元:フィルムアート社
(2012-05-25)
販売元:Amazon.co.jp



私がこの本を手にとった1つの理由は、法務パーソンにもかかわらず、クリエイティブ・コモンズの仕組みや、あの「CC:BY-NC」みたいなライセンス表記ルールがなかなか覚えられず、苦手意識があったから。思想としては共感していても、非商用のライセンスを規定する話なので仕事上の緊急性がないこともあり、後回しにしていました。この点については、他のどの本よりも柔らかく噛み砕いて説明してあったので、もし同じような苦手意識をもっている法務パーソンがいらっしゃれば、満足いただけるクオリティだと思います。

※上記記述について @taaaaaaaask さんよりtwでご指摘いただきましたので修正しました。わざわざ有り難うございました。

もう1つの理由が、先ほどのこの問い

「自分の作品の一部がこんな風にパーツとして扱われだしたとき、そのパーツに払われるお金はさらに微々たるものになるだろう。そのとき、自分がその作品・パーツの制作者だったら、何に報いを求めるだろうか。それは著作権にもとづく対価請求権とは違うものなのではないか。」

これに対する答えとして、私は代わりに著作者人格権をもっと強化することなのではないかという自論をぼんやりと持っていたのですが、クリエイティブ・コモンズはこの点をどう考えているのか。つまるところ、クリエイティブ・コモンズは何をゴールと設定しているのか?という点です。

これに対する答えは明快でした。

ある人は、別の作者の作品を自分の創作に組み込んで、まったく別の作品に仕上げることによってリスペクトを示すことができるでしょう。しかしできあがった新しい作品が、取り込んだ著作を素材として活かしきれているかについては、それを鑑賞する人によって印象が異なるでしょう。
これはひとえに他者の創造性を継承して新しい作品を生み出すという行為そのものがコミュニケーションとしてとらえられることを意味しています。そこには濃淡があり、表情があります。それがゆえに失敗もあり、成功もあります。絶対的な尺度で規定することはできず、受け手に応じて相対的に価値が変化するのです。
本や論文を書く際には必ず参考にした文献の情報を記載するように、ミュージシャンがカバーソングやリミックスを作る場合には対象となる曲を明示します。このことによって引用されたり参照されたりした原作者は自分の表現行為がどのような影響を与えたのかを知ることができます。それは原作者自身の趣向性や価値基準に沿うようなポジティブなものである場合もあれば、時としては原作者が好まないネガティブなものであったり、またはまったく予想もしなかった形に作り変えられる場合もあるでしょう。
しかし、コミュニケーションに常に誤解や失敗があるように、創造行為が自分が期待した反応を引き起こさなかったり批判を浴びたとしても、その事実は自分の次の創造行為をよりよくする材料になります。もちろん感情的であったり、ただ否定的なコメントはリスペクトにもとづいたフィードバックだとはいえませんが、ネガティブかつ建設的なフィードバックを返すことも作者の学習をうながすという意味で、有益な行為だと考えることができます。

創作の見返りはリスペクトだけでなく、学習までをも含んだものであるべきである。そのために必要なコミュニケーションを生む仕掛けがクリエイティブ・コモンズ・ライセンスだ、著者はそう述べています。

そしてもう一点、法務パーソンの関心事である「その時に著作権法はどうあるべきか?」について。

著作権の旧さや弊害を指摘し、それを乗り越える対症療法的な活動だけではなく、現代の技術や社会状況と照らし合わせながら、著作権がどうあるべきかという逓減や実験も同様に必要とされるでしょう。
筆者はクリエイティブ・コモンズは長期的な時間を要すると同時に、過渡期な運動であるととらえています。クリエイティブ・コモンズの最終的な目的は社会の中で透明な存在となり、クリエイティブ・コモンズという固有名について語る必要性がなくなったときに完遂されると考えています。

クリエイティブ・コモンズの活動家は、比較的おとなしい人が多いなあと思っていたのですが、著作権制度を性急に壊して新しい制度を無理矢理押し付けるのではなく、クリエイターとユーザーとの間にコミュニケーションを促すことで相互にメリットをもたらし、いずれはクリエイティブ・コモンズの概念すらなくすことがクリエイティブ・コモンズ・ライセンス制度の目指しているところなのだ(※)と聞いて、納得と共感を覚えました。

とはいえ、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの仕組みは法務パーソンからみてもちょっと複雑で、一般への浸透にはまだまだ時間がかかりそうなのも事実。著作権制度だって、明日あさって急になくせるようなものではない。それらを自覚した上で、あせらずにゆっくりと、芸術・創作のクリエイターとユーザーとの間にリスペクトとコミュニケーションを創発し、それによってクリエイターとユーザーの両者がさらに高みに登る世界を目指している、そんなクリエイティブ・コモンズを私も支持していきたいと思いました。
 

※この引用部については、著者のドミニク・チェンさんより、あくまで個人的見解でありCCコミュニティ全体の共通理解ではないとのコメントをツイッターでいただきましたので、念の為ここに追記させていただきます。コメントありがとうございました。
 

【本】引用する極意 引用される極意―適法な引用となるための“法定5要件”+“判例2要件”をご存知ですか?

 
引用を正しく理解できるようになるためには、まずその対象が著作物であるかないかをしっかりと見極められる著作権そのものの知識・理解が必要。

この点については、以前『引用・転載の実務と著作権法』のご紹介で申し上げたとおりです。
【本】引用・転載の実務と著作権法―「その引用が適法かどうか」を判断できるようになるために、まず最初に理解すべきこと(企業法務マンサバイバル)

この本は、読者がそのような著作権そのものの知識・理解をすでに備えていることを前提として、
・引用が法的に認められる要件
・出所明示の具体的見本例
を詳しく示してくれます。

引用する極意 引用される極意



著作権法上の5要件と最高裁判例の2要件

ご存知のとおり、適法な引用となるための要件は、著作権法に規定されています。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
第四十八条 次の各号に掲げる場合には、当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。
一  第三十二条、第三十三条第一項(同条第四項において準用する場合を含む。)、第三十三条の二第一項、第三十七条第一項、第四十二条又は第四十七条の規定により著作物を複製する場合

この2つの条文から導かれる要件は以下の5つとなります。

1)公表された著作物であること(32条)
2)引用して利用すること(32条)
3)公正な慣行に合致すること(32条)
4)引用の目的上正当な範囲内であること(32条)
5)出所の明示をすること(48条)


これに加えて、パロディモンタージュ事件(S55.03.28 最高裁第三小法廷)の最高裁判決において
ここにいう引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない
と判示されたことにより、
6)引用部分が明瞭に区別できること
7)引用部が主従の従たる部分にあたること

の2要件が明確化されたことを踏まえ、この本でもあわせて計7つのポイントに注意して引用をすべきである、と説きます。

なるほど、著作権の本で引用の要件を調べるたびに、本によって要件の数や書き方が違っていた理由はこういうことだったのか、とフムフム納得。

とはいえ、7要件ではいかにも多すぎて頭の中にスッキリ入ってきません。
6,7を満たせば2,3,4の要件も満たされている、すなわち引用の要件は1,5,6,7の4要件だ、と考えても実務上差支えないのではと私は思っていますが。


ウェブサイトからの引用論について真面目に考えてみる

この本のもう一つの特徴が、学術論文だけでなく、ウェブサイトからの引用についてかなりキッチリと触れてくれている点。

どのくらいキッチリとしているかは、「なぜ他人の著作物にリンクを張るのが著作権侵害とならないか」について述べられたこの部分を見て頂ければわかるはず。
わが国の著作権法との関係で問題となるのは、複製権(21条)と公衆送信権(23条)であり、(後略)
まず複製権との関係を考えてみましょう。この権利は、著作者に無断でコピー(複製)することを禁止する権利ですが、リンク元はリンク先のコンテンツを自分のサイトにコピーしているわけではないし、リンク元が一度自分でコピーをしてから、当該コピーを閲覧者に送信しているわけでもありません。
閲覧者がリンク元にあるリンクをクリックすることによって受信ができるのは、リンク先ウェブが閲覧者へのコンテンツの送信を許可しているからにほかなりません。したがって、リンク元が無許可でリンク先ウェブのコンテンツを送信しているわけではない以上、リンク先の公衆送信権を侵害しているわけではありません。

ふつうの著作権法の解説書では、「無断でリンクを張っても、(フレーム内リンクにしない限り)著作権法上何の問題もなし」と簡単に片づけられてしまうわけですが、そこは1冊まるごと引用をテーマにしたこの本ならではの細やかさがあります。


web時代の出所明示は時刻までをも明示する

そして、分かっているようでいつまでたってもはっきりとした方法が分からない、模範的な出所明示の表記法についても詳しく述べられています。

たとえば、webサイトからの引用について、アメリカの有力な引用法マニュアル(Chicago,Modern Language Association,American Psychologigal Association)に共通するルールから著者が導いたオススメ表記法がこちら。
Yale University, History Department Home Page
[http://www.yale.edu/history/](accessed September 10,2008)

特徴的なのは、アクセスした日時を書くという点。
Wikipediaに代表されるように、web上の情報は容易に書き換えられてしまうことを考えると、確かにこうしておいた方がいいかもしれません。

というわけで、引用についての知識と理解を深めたい方にはうってつけのこの本。

ちなみに、この本の本文中でもっとも引用されていた文献は、やはりというべきか冒頭紹介した『引用・転載の実務と著作権法』でした。
読んでない方&著作権そのものについてまだ自信のない方は、是非そちらをお読みになってからこちらの本に挑まれることをおすすめします。

フェアユースを持ち出さず、いちいち利用許諾をとることもなしに、如何にして「tsudaる」を合法なものとするか

 
最近何かと切れ味のあるエントリが続く企業法務についてあれこれの雑記のkataさんが、tsudaる=twitterで講演やシンポジウムを中継することについて、著作権法の観点から問題提起をされています。

"tsudaる"の著作権法上の留意点(企業法務についてあれこれの雑記)
中継の対象は、ほぼ「思想又は感情を創作的に表現した」「学術の範囲に属する」ものであるため、言語の著作物に該当するケースがほとんどだと思います。
そして、中継行為は、言ってみれば要約(翻案)+送信可能化なので、著作権者の許諾を受けている場合や、著作権の制限に該当する場合を除いて、中継行為が翻案権侵害・送信可能化権侵害と評価される可能性は非常に高いはずです。
前例が無い以上、中継をする場合は、著作権者(主催者ではなく)に必ず中継の事前承諾を得るべきです、と。

著作権法の解釈論&理想的な解決策としては私もkataさんと同意見です。コンプラや法務に携わる者の頭の構造として、曖昧な状態で著作物を利用する行為を見かけると、どうしても著作者(権利者)の視点から利用対価請求権を行使できるかどうかを即座に検討し、著作権法上それが行使されうるとなると、(悪意なく)反射的にそのリスクを指摘し、ヘッジのために権利者からの許諾をとることをオススメせざるを得ないわけで。これはもう法務パーソンの性分ですね(笑)。

加えて、閉鎖された空間に参加者を集めて行う講演やシンポジウムは、(終了後にある程度その周辺に伝達されることを想定しているとはいえ)その閉鎖された空間にいる参加者のみが聞くことを前提として喋るわけで、もっとうるさいことを言えば、著作者人格権上の公表権や同一性保持権の問題もでてくるかもしれないとビビってみたり。

とはいえ、その一方で、講演やシンポジウムをやる側としても、何らかの主義主張があり、それを一人でも多くの人に伝えたいと思って発言をしているはずでしょうから、実際にtsudaることについて著作権を振りかざしてガミガミ言いたくなるシチュエーションの方が少ないとも思われ・・・

と考えていくと、堂々巡りで答えがでないので、以下tsudaっても著作権侵害とならない基本的なガイドラインを、現実的な線でこう引きませんか?という大胆なご提案。

“講演・シンポジウムの主催者および講演者が「会場内撮影・録音禁止」の意思表示をしていない限り、tsudaることについても黙示の同意があったと推定する。”

参加者(著作物の利用者)側はあれこれ理屈を作っていかにして著作権侵害にならないかに傾いた主張になりがちなので、講演・シンポジウムに出演される側の方の意見もお聞きしたいですね。

著作権法改正の議論って、不自然なくらい報道されませんね

 
ここのところ、著作権法改正まわりのニュースをあまり聞かないなと思って能動的に調べたら、いろいろあるじゃないですか。

権利者軽視では結論出ない? 著作権制度「大所」からの議論開始―文化審議会の「基本問題小委員会」初会合(InternetWatch)
著作権制度の根本的なあり方を議論する文化審議会著作権分科会の「基本問題小委員会」第1回会合が20日に開かれた。参加メンバーの半数以上が権利者で占められる同小委員会では、著作権制度の議論では権利者が軽視されているといった意見が多数上がったほか、日本版フェアユース規定については導入に慎重な議論を求める声も上がった。
JASRACのいではく氏は、「権利者を尊重すべき」という前提で議論を展開すべきとコメント。(中略)さらにいで氏は、過去の著作権分科会で主婦連合会常任委員の河村真紀子氏が、「自家用車で聞くために、消費者はもう1枚同じCDを買うのか」と疑問を投げかけたことを取り上げ、「当然だと思う」と説明した。「家にあるコーヒーを車で飲みたければ、持ち出すか外で買えば良いのと同じ。車で聞きたければCDを持って行くか、それがいやならもう1枚買えば良い。CDの自宅内でのコピーは認められてはいるが、コピーを持ち出すのは『基本的に全面OK』ではない。自宅内で使うものは仕方がないから認めるという程度。そういうことがきちんと理解されず、既得権のように当たり前になるのは非常に危険だ。」
「基本問題小委員会」で議論される予定の日本版フェアユースの問題については、日本写真著作権協会常務理事の瀬尾太一氏が、「日本を裁判社会に持って行く強い覚悟がなければ危険」として、導入の有無には慎重な検討を要請した。
 「米国のように懲罰的にきちんと賠償金を取れるのであれば成り立つが、日本では、権利者が侵害されたからと言って、大手を相手に訴訟したら心労で胃に穴が空いてしまう。日本には個人の権利者が多数いる。かたや利用する側の多くは会社で、法務部や顧問弁護士もいる。たとえ権利者が裁判で勝っても少額のお金しかもらえず、裁判費にも満たないだろう。」

と、まあ早速権利者側は全面戦争の構え。

この委員会のメンツには私も疑問を感じますが、実務面からは森濱田の松田先生とフェアユース推進派と推察されるTMIの宮川先生の2名が参加されているので、バランスは取っていただけると思うのですが。

議事録もこちらに公開されています。


無断配信コンテンツのダウンロード違法化法案が衆院可決(マイコミジャーナル)
衆議院は12日、著作権者の許諾を得ずにネット上で違法配信された映像や音楽のダウンロードを違法とする著作権法改正案を全会一致で可決した。改正案には、違法だと知らずに録音・録画をした人に不利益が生じないよう留意するなどとした付帯決議が付されている。

ファイル交換ソフトや音楽配信サイトを利用した音楽や映像の無断ダウンロードについてはこれまで、コンテンツ権利者から違法性が指摘されていた。だがこれまでは、コンテンツを無断で「配信」することは違法だが、ダウンロード自体を禁じる規定はなかった。

フェアユース議論に先駆けて導入される違法ダウンロード禁止法案。まあ、罰則がないんで取り締まるつもりもないんでしょうし、権利意識醸成・教育効果としてどのくらい意味があるか不明なんですけども。

これだけ報道が無反応だと、このまま成立しても国民への周知と理解促進がどれだけなされるのか心配です。


日本版フェアユース検討に向け、2009年度の法制問題小委員会が始動(CNET Japan)
著作権にまつわる法制度のあり方を議論する、文化庁の著作権分科会の法制問題小委員会の2009年度の初会合が5月12日、開催された。
委員からは「フェアユースのイメージが漠然としたままヒアリングをすると、話が噛み合わなくなってしまう可能性があるのではないか。ある程度要点を整理した上でヒアリングを行うべき」(東京大学大学院教授の森田宏樹氏)と意見を提案。一方、文化庁長官官房著作権課著作物流通推進室長の川瀬真氏は「政府の知財本部やこれまでの議論の中間報告書で関係団体などからある程度提言が出されている。とりあえずそれで整理されているので、これをもとに意見聴取を行いたい」と、方針を貫く姿勢を崩さなかった。
その後に行われた意見交換では、「権利制限だけでなく、著作権法体系全体の基礎となる課題。十分に時間を尽くした議論を」「日本と米国では法文化や慣習が違う。日本の国民性にのっとった独自のフェアユース規定を模索するべき」「一般規定だけでなく、個別規定の整理と合わせてトータルで考えていくべき」といった慎重的な声が聞かれた。一方で、「米国の裁判では競争法(独占禁止法)では著作権法の事例がほとんどない。これはフェアユースが一定の歯止めになっていると言えるのではないか」という前向きな意見も挙がった。

上述の基本問題小委員会との役割分担がイマイチ不明ですが、事務局の文化庁をはじめ法制問題小委員会はフェアユース導入ありき、という姿勢なんでしょうか。

権利を使ってビジネスを行う企業の実務家として、かつ自分自身も権利者を志す者として、現時点での私の意見を表明すると、
・権利者の権利はきちんと守れるように、が大原則。
・私的使用は認められる場合を明文化し、積極的に認める。
・私的使用に入らない不正利用については明確にこれを禁止
 する。ただし、権利者が不当に権利を濫用し利用させない
 行為は、文化の発展を阻害することにつながるので、権利を
 強化するのではなく、著作物の利用に対する正当な対価を
 どう権利者に循環するのか、という発想に立って権利を保護
 すべき。
・「フェアユース」というマジックワードをひとたび用意すると、
 正しい引用とは何かもまともに議論できない(しようとしない)
 今の日本では、「フェアユース」にかこつけた著作権の侵害
 が乱発することは間違いないので、導入は反対する。
こんな感じです。

それにしても、報道が無さ過ぎるのが何より気になるところです。

社内イベントで音楽著作物をBGMとして利用する場合にも著作権は及ぶか

 
私の所属する会社は、従業員を鼓舞するための社内イベントがとにかく大好き。この4月も、当然のように各部門でイベントが目白押しです。

そのような場でCDなどの音楽著作物をBGMに使うことについて、著作権法上問題ないかを以前検討した経緯がありましたので、何かのお役に立てばと。


著作権は社内イベント利用にも及ぶ

著作権法第38条1項には、
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
と定められています。

つまり、
1)営利性がない
2)聴衆・観衆から対価を取らない
3)実演家等に報酬を払わない
という3要件がそろえば、著作権は及ばないということ。

社内イベントで音楽をBGM利用するというケースでは、2と3の要件は問題ないと思います。一方で1の要件については、会社のオフィス=営利事業を行う施設であること、かつ会社が音楽を利用し従業員の士気を高める行為は営利活動の一環でもあることから、この要件に抵触する解釈となります。

従い、著作権法上は、たとえ社内のイベントであってもBGMとして音楽著作物を利用する場合は著作権者の許諾が必要となる、それが原則です。


JASRAC規定は意外とやさしい

ところが、音楽著作物の著作権管理を行うご存知JASRACの利用料規定には、こんな定めがあります。

お店などでBGMをご利用の皆さまへ(JASRAC)
BGMの使用料規定・備考(JASRAC PDFファイル)
福祉、医療もしくは教育機関での利用、事務所・工場等での主として従業員のみを対象とした利用又は露店等での短時間かつ軽微な利用であって、著作権法第38条第1項の規定の適用を受けない利用については、当分の間、使用料を免除する。

免除する、っていうのがまあちょっと上から目線気味なんですが、著作権法どおりの権利を主張しない(いつものJASRACらしからぬ)奥ゆかしさは、結論としては妥当なところですね。

ということでまとめると、
社内イベントでの音楽著作物のBGM利用には、著作権は及ぶものの、JASRAC管理の音楽著作物であれば使用料を払わずに利用できる。
ということになります。

ところで、うすうす疑問ではあったんですが、この利用形態でもJASRACへの演奏利用申請って必要なんでしょうかね?
[入場料 有・無]とか[出演者への報酬 有・無]の記入欄まで丁寧に用意された申込書を見ると、利用申請を前提としている雰囲気が漂ってるんですけど・・・
演奏利用申込書(JASRAC PDFファイル)

【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL No.14 5月号―著作物の社内/部門内コピーという現実に対する法務パーソンのスタンスを問う

 
今月のBLJの特集「法的リスクの見落とし事例」は、一見地味ながら共感度の高い事例がギュッと集まっている、読み応えのある記事でした。

BUSINESS LAW JOURNAL 2009年 05月号


・秘密保持契約に、よく読むと競業避止条項が入っていた
・サプライヤーとして結ぶ取引基本契約に、「バイヤーの責に
 帰すべき事由による場合を除き、〜損害を賠償しなければな
 らない」という条項を受け入れたことで、“当事者以外”の
 責任も負うことになってしまった
・株主からの質問に対して、ついうっかりインサイダー情報と
 知らずに総会で開示してしまった
などなど、あるある!なケースが勢揃い。


「部門内コピーは合法」?

その中の記事「著作権等侵害トラブルはこうして起きる」の中に、TMI総合法律事務所の宮川先生・升本先生の踏み込んだコメントが。

企業その他の団体において業務上利用するために著作物を複製する行為は、私的使用目的複製にはあたらないとした判例もあります。
と、いわゆる舞台装置設計図複製事件(昭和 48年7月22日東京地裁)に基づく“常識的見解”を披露した上ではあるものの、
社内での文献等のコピーが著作権侵害になるとして一切許されないということにも抵抗を感じます。
会社内の同じ部署の人たちが、数人程度の小規模な会議や研修会の資料として文献等をコピーする場合には、同項の「これに準ずる限られた範囲内」に当たると解釈することも無理ではないのではないかと思います。
つまり、社内であっても部門内コピーは合法という解釈ができるのではないか、という思い切ったご意見を披露されているのです。

厳格な法律解釈に囚われてビジネスを過度に制約すべきではない、という意図が多分に込められていることは分かりますが、さすがに弁護士の先生が公の場でこの発言は行き過ぎでは?とこちらが心配になってしまいました。


100%は無理でも、守るべきものは守る

どこの会社においても、「まあ、良識の範囲でやってるのはしょうがないよね」と現実から目をそらしているであろうこの著作物の社内/部門内コピー問題。法務パーソンの皆さんはどのように考え、対応されていらっしゃるのでしょうか。

現場から正式な見解を求められれば、
「残念ながら、社内で会社のコピー機を使ってコピーしている時点で私的利用とは言えず、部門内に限定した利用であっても、著作権法上はNGです。」
苦悶しながらも、私はそう答えてきました。

私の様なブロガーが増えていることに象徴されるように、一億総クリエータ化も進む現代。何でもかんでも権利でがんじがらめは時代にそぐわないよねとフェアユース論が沸騰しはじめている一方で、100%は無理でも権利者の権利は守れる限りにおいて守っていくべきではないか、というのが私の今のところのスタンスなのですが。

同じ号のBLJの5ページ“OPINION”のコーナーでは、関西大学の森岡教授がちょうどこんなことを述べていらっしゃいます。

問題を労務に限れば、日本企業にはコンプライアンスからほど遠い状況がある。その例は、障害者法定雇用率の未達成、女性賃金差別、不当解雇、賃金不払残業、過労死、偽装請負、労災隠し、最低賃金法違反など挙げればきりがない。

著作権もしかり、労務もしかり、真のコンプライアンスとは、今まで「現実」という一言で解決を先送りし続けた問題を、ひとつひとつ聖域なくクリアしていく終わりなき戦いなのかもしれません。

【本】著作権とのつきあい方―著作権法とは特定業界を有利にするための契約利害調整法である

 
本を買う際の選び方として、
・著者の経歴
・サブタイトルや帯に書かれたキャッチ
を見て中身を推測するのはある意味王道です。

しかし、八重洲ブックセンターで中をチラ見して衝動買いをしたたこの『著作権とのつきあい方』に関しては、その王道を踏まなかったのが吉と出ました。




「理想的な著作権法」像への刺激的なアンチテーゼ

著者は、「元文化庁著作権課の課長」。
サブタイトルは、「活字文化・出版関係者のために」。
帯に書かれたキャッチは、「活字文化を担うクリエータ・編集・出版関係者に著作権の常識を伝授」。

これだけで中身を想像すると、元お役人ならではの生真面目な調子で、出版権や編集著作権などについてとうとうと語る本だろう・・・そう予想して、きっと買わなかったと思うんですよね。

ところがこれが全然違いまして。

まず、出版ビジネスに特化した解説は全体の20%程度しかありません。度重なる著作権法改正の経緯など、著作権全体の考え方の背景について語るパートがほとんどを占めています。私はむしろそれで全然OKだったんですが、出版関係者の方がサブタイトルにつられて期待して読んだとしたら、少し拍子抜けするかもしれません。

そして何より、著者の経歴から固めの著作権法論を期待していたとしたら、それこそ思いっきり裏切られることでしょう。「そこまで毒づかなくても」と読んでる側が著者を諌めたくなるほどの刺激的な物言いなので。

著作権法の複雑さに直面したときには、次のように考えるといい。本来は単純でいいはずの法律ルールが複雑になっている理由のひとつは、「Aの場合はこうだが、Bの場合はこうだ」とか、「原則としてはこうだが、Cの場合だけは例外的にこうなる」といった「場合分け」が多いことだ。
そうした場合分けが行われている理由について、官僚、学者、専門家などが色々ともっともらしい説明をしているが、そうした説明は基本的に信じないほうがいい。その大部分は、「後付けの理屈」(政治力に屈したといいたくないために行った理屈付け)に過ぎないからである。種々の本に書いてあるそうした後付けの理屈(場合分けをする理由・根拠)の中には、相互に矛盾したものもあり、これらを信じてしまうと、著作権法が非常に分かりにくくなる。
ではなぜルールを複雑にするような場合分けがなされているかというと、それは簡単に言ってしまえば、『誰かを有利にする』ためである。
コンテンツ業界の中で、多くの国に共通して昔から強い政治力を持ってきたのは、「無線放送」の業界と「映画」の業界だ。
差別化によるルールの複雑性は、要するに「自分たちに有利な法律ルールを実現できる、政治力の強いグループが獲得したもの」なのだ。

こんな調子で、ああ元お役人の立場でそこまで言っちゃいますか、という発言の目白押し。

・著作権法とは、コンテンツの“ユーザー”と“クリエーター”
 のエゴが衝突する著作権利用契約を調整するための
 「契約利害調整法」である。
・日本の著作権法は、現在最大の“ユーザークリエーター”
 であり最大の政治力をもつ無線放送・映画業界に都合の
 良い契約となるように立法されている。
・それを自分達にとって分かりやすい・都合の良い・理想
 的な法律にしたいのなら、自分達自身が最大の政治力
 となるための努力が必要だ。


そこまで言っちゃうと法律論の多くが身も蓋もなくなりますよねとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、前職でその無線放送の業界に身を置き、まさに政治力が法律さえも変えていく瞬間を目の当たりにしてきた私には、決して身も蓋もない話には聞こえず、至極リアルな法律論に聞こえるのでした。

【本】知的財産・著作権のライセンス契約入門―メーカー・知財法務担当じゃなくてもこれは是非抑えておきたい3種類のライセンス契約

 
契約法務強化月間ということで、今日はライセンス契約のガイドブックを。

前回ご紹介の本『ビジネス契約書の起案・検討のしかた』は「読んだことありますよ」と言う声を多く頂いたこともあって、今回は少しマイナーな本をチョイスしてみました。




どんな会社であってもこの3契約はあるはず

ライセンス契約と聞いて「あ、オレメーカー法務じゃないし」「特許とか意匠は知財担当がいるから・・・」と思ったあなたも一見の価値あり。

なぜならこの本は、
1)トレードシークレット
2)著作権
3)商標
という、どこの会社でも発生可能性のある3種類のライセンス契約に絞っているから。

著者の山本孝夫さんが商社(三井物産)ご出身ということもあり、当たり前のように英文契約をベースに典型的な契約条項を取り上げて解説していきます。

まず、契約例文と日本語対訳があり、
s-IMG_8485

その下に山本さんの国際契約経験の豊かさを感じさせる具体的エピソードを交えた解説が加えられていく、
s-IMG_8483

という構成になっています。

英文契約ならではの言い回しそのものの解説は端折られていますので、英文契約の基礎をすでに勉強してある中級者以上向けといえるかもしれません。


京大カード式英文契約自習法が書籍に昇華

本の内容以上に私を刺激したのが、あとがきとしてかかれていた、若き日の山本さんの英文契約自習法。

早川先生の『法律英語の常識』他で基礎知識を習得しながら、『Jones Legal Forms』を片手に見よう見まねで英文契約を作成し、それを顧問の外国法弁護士(極東裁判で重光葵を弁護したジョージファーネス弁護士)に筆を入れてもらう日々。
その中で、実際の契約に頻繁に登場する重要条項を京大式カードに書き留めていくという作業を繰り返して、英文契約をものにされてきたそうです。

そして、このカード式条項集の集大成として出版されたのが、以前にも紹介している『英文ビジネス契約書大辞典』であり、厳選して出張にも持っていけるように新書版で出版したのが『英文契約書の書き方 (日経文庫)』『英文契約書の読み方 (日経文庫)』。

それに対して今回ご紹介のこの本『知的財産・著作権のライセンス契約入門』は、これらの本よりも専門的にライセンス契約の条項に特化しかつ携帯できるようにしたという位置づけなのだとか。

自分が手塩にかけて育てた愛着のあるツールがこんな風にバリエーション豊かに次々と書籍になっていくというのは、感慨もひとしおでしょうね。
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