企業法務マンサバイバル

企業法務を中心とした法律に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きるすべてのビジネスパーソンに貢献するブログ。

福井健策

【本】著作権の世紀 変わる「情報の独占制度」―情報独占の欲望を法制度だけで解決しようという試みは、この果てしなく広い海に壁を建てるようなものだ

このエントリで伝えたいこと

  • もともと独占に向かない性質を持つ“情報”の独占を許す制度である著作権法は、もう少しやわらかさ=変動性能を備えた方がよい、という著者の主張に共感する。

情報独占制度としての著作権をニュースから理解する

先週ご紹介した著者福井健策先生の前著『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』の続編。

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」


前著が主に作品の模倣・パロディという側面を中心に著作権法を語っていたのに対し、本書は著作権にまつわるニュース・トピックス、たとえば
・槇原敬之対松本零士事件
・海洋堂フィギュア事件
・ディジタル録画録音機器の補償金拡大問題
・森進一氏と川内康範氏の『おふくろさん』騒動
・保護期間20年延長(ミッキーマウス保護法)問題
こんな事件・話題の美味しいところだけをスナップショットのように切り取って、著作権法との関係性を分かりやすく解説してくれます。

そして、このような世間から注目される著作権事件のいずれもが、誰かがだれかの“情報”を独占しようとして生じている問題であること、そしてこのような“情報”独占への欲求は著作権に留まらず、商品の名前・物のデザイン・肖像・アイデアまでをも巻き込んで、大“情報”航海時代とでもいうべき時代になっていることを述べます。

P215ではこの今の混沌とした様子を一枚のポンチ絵で表現して下さっていて、私はこれが大変気にいってます。

s-seaofinfo

情報の海に壁は立てられない

後半では、このような大“情報”航海時代において、情報情報の独占をどこまで・そしてどのように認めていくべきかが今まさに議論されるべき時に来ていると述べる著者。

前著では、日本版フェアユースの導入是非がその議論の中心だったのに対し、本書では
・フェアユース以外のリフォーム論(作品登録制・報酬請求権化)
・DRM(補償金制度などの契約やコピーガード技術による制限)
・パブリックライセンス
といった様々な選択肢を挙げて、その良し悪しを検討しています。

著者としてどのような方策がいいという明言はされていないまでも、著者の思想の根底に流れるのは、「情報の海は、時代によって相互に影響しあい領海の大きさも変わるのであって、壁=明確な境界は立てられないし、少なくとも変動性能の低い法律のみで無理やり壁を建てるようなことはすべきではない」という主張と私は読み取りました。


著作権の基本的な部分が分かっていた上で読んだ方が、今起こっていることの何が問題なのかがつかみやすいかもしれません。twitter上で福井健策先生自ら『著作権とは何か』から読むことをお薦めしていた理由は、そんなところにあるのでしょう。

著作権の基本的な部分はわかっていて、今後どうなっていくのかを主に考えたい方には、本書後半がズバリ期待に応えてくれると思います。
 

【本】著作権とは何か 文化と創造のゆくえ― 餅は餅屋に、著作権は著作物そのものを解せる弁護士に


著作権から「文化」を語られてもまったく理解ができないけれど、
「文化」から著作権を語ってもらうと理解できるんだ、ということが良く分かりました。

著作権とは何か―文化と創造のゆくえ



法への当てはめの前に、まず作品(著作物)を理解すること

最近テレビにネットにと多数露出され、飛ぶ鳥を落とす勢いのノリに乗っている弁護士のお一人、福井健策先生。

その福井先生が新刊「著作権の世紀」を出されたと聞いたので、早速買って読もうと思ったら、先生自らtwitterでこちらの本から読むことをお薦めされていたので、素直に従ってみました。

この本の全編を通して感じたこと。それは、ともすると法律家が著作権事件を語るときには裁判所の判断をもとに「この作品はここが模倣と解釈され・・・」と法律からその著作物の特徴を語るケースがほとんどなのに対し、

福井先生は、まず作品(著作物)について先生なりにじっくりと解釈した上で、著作権法に丁寧に当てはめて考えようとされている点です。本来そうあるべきではあるものの、他の先生にはなかなか感じられない特徴なのではと思います。

著作権を専門に数多く扱ってきた弁護士でありながら、経験則で判断するような雑な考え方ではなく、作品(著作物)や作家(著作者)に対し深い造詣と愛情をもってまず理解に努めようとする姿勢を強く感じます。


文化を育む法ならば、文化を否定しないための規定が必要だ

さらに、正直新書ということで気楽な気分で読みはじめていた私が、この本の3章と4章には相当影響を受けてしまう結果に。これは日本版フェアユース規定導入反対派の方は、是非一読すべき本かと。

それも、
「ほーら、だからフェアユースがないと実生活で困るでしょ?」
と安易に“ユーザーとしての窮屈さ”に訴えたり、
「権利者に正当な名誉や報酬が確保されないと、創作のインセンティブが湧かないからだめなんだ」
といたずらに“著作者の権利を声高に叫ぶ”ようなありきたりな主張ではなく、“文化を育むために著作権の厳格な利用制限がいかにそれを妨げる結果につながるか”というアプローチでの問題提起。

その問題提起の中心的題材となっているのが、パロディの問題です。

強烈・辛辣なパロディを作られたせいで、オリジナル作品のイメージが劇的に低下することはあり得ることだ。その場合、結局、売上は壊滅的な打撃を受けるじゃないか。これは、よくある模倣品よりもよほど大きな迷惑になりかねない。
『プリティ・ウーマン』事件の連邦最高裁はこの点について「評価の低下」は著作権が問題にしている「市場での迷惑」とは違う、と述べました。
辛辣なパロディの結果、オリジナル作品の真価を人々がより理解するようになって人気が落ちるのはこれと同じことです。それは、正当な批評活動であって、社会にとってはむしろ有益でしょう。
批評行為を著作権を使って防止しようとするのは、言い換えれば批評活動を行うためにオリジナル作家の許可が必要だというのは、これはおかしい、ということです。

パロディは文化、しかし日本ではその文化であるパロディが文化を育むための法であるはずの著作権法によって行えないという矛盾。これには私も反論の言葉が見つかりません。

昔はあれだけ日本版フェアユース規定導入に抵抗があった私も、この本の前に正直相当揺らぎはじめています。
 
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