企業法務マンサバイバル

企業法務を中心とした法律に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きるすべてのビジネスパーソンに貢献するブログ。

憲法

【本】『インターネットの憲法学 新版』― インターネットを殺すのは、安易なグローバル・スタンダード迎合主義


ネットビジネス・情報ビジネスに携わる法務パーソン必読の書。自分の携わるビジネスが、ここまで幅広く憲法に関わっているのだということを、改めて認識し総点検するために。


インターネットの憲法学 新版
松井 茂記
岩波書店
2014-12-18



松井茂記先生といえば、いわゆる実務書でありながらも当時から先進的な論稿を多く含んでいた共著書『インターネットと法』があります。私も同書には第4版の刊行から5年経った今もお世話になっているのですが、本書はそういった実務書とは趣の異なる学術書の体裁をとります。短期的な解決策やノウハウを求めている方の期待に応えるものではありません。

では、格式張った憲法学の教科書のような内容かというと、そうでもない。プロバイダー責任、フィルタリング、ドメインネーム、ブラウザと市場独占、ポルノやプライバシーと表現の自由といったインターネット創世記から問題となった基本論点を抑えた後は、
・児童ポルノ
・ヘイトスピーチ
・公平な利用(フェアユース)
・政府によるインターネット監視
・国境を超えるインターネット
・ネット選挙
といった、今まさに問題になっているキーワードを次々に取り上げ、良い意味で学問としての憲法学の体系にとらわれずに論じていきます。しかも、その言説はかなり大胆。先生がご専門とするアメリカ・カナダでの議論を踏まえて、両論併記というよりは松井説のみをはっきりと叙述するスタイル。読者としては、首肯しがたい結論もかなり多いでしょう(P365の「何がプライバシーで何が個人情報か」の一節などは、日本の読者も気になる論点であるはずですが、あまりに一刀両断過ぎてドキドキすること間違いなしです)。

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こういったスタイルを敢えて採用した理由は、数々の論点が憲法学上の論争にすらなっていない日本憲法学への憂いなのか?議論をしていては間に合わないという焦りなのか?その切迫感は、本書のクライマックスに近づくほど高まり、安易な「グローバル・スタンダード」迎合に対する警鐘へとつながっていきます。P438より。

国際社会でインターネット上の表現の自由やプロバイダーの法的責任について合意が形成されるとは考え難い。また、もし合意が形成されたとしても、それは日本国憲法のもとで表現の自由に対して与えられる憲法上の保護を下回るような基準で合意がなされる可能性が高い。最も自由の保護の低い国の基準がグローバル・スタンダードとなり、インターネット上の表現の自由が著しく萎縮する危険性が高いといえよう。
そうだとすれば、表現の自由の観点からは、各国がそれぞれ自主規制を重視し、域外におけるインターネット上の表現行為に自国の法律を適用することを控えることこそが、インターネット上の表現の自由を確保する上で最も適切な方向性を示すものだということになろう。
たしかに、インターネットが提起する諸問題を解決するには、それぞれの国がかってにその国の法律を適用していたのでは、決して満足のゆく解決は得られないであろう。しかし、表現の自由に対して与えられる憲法上の保護は、国によって大きく異なる。プロバイダーの法的責任についても、国によって考え方に大きな違いがある。このことは、国境を超えたアプローチには、重大な危険が伴うことをも示唆する。国家の揺らぎを理由に、国際的協調を安易に主張することにはもう少し慎重であるべきだろう。

確かに、日本では今、民法(債権法)、著作権法、プライバシー法制、労働法制といった分野でことさらに特定の外国法制を紹介し、「日本だけが世界から遅れている」といった外圧アプローチで法改正の必要性を声高に叫ぶ向きが多いように思います。かくいう私も、「長いもの=世界の潮流にはいったん巻かれておいて、その上でいち早くビジネスで現実対応するのが得策」と考えがちなタイプであることは、否定できません。

遠いブリティッシュ・コロンビア大学から、日本を憂いてらっしゃるのであろう松井教授のこの警告に、自分の頭で考えることを放棄しているのを見透かされたような、恥ずかしい思いがしました。
 

DPI(ディープ・パケット・インスペクション)と「通信の秘密」

 
今週頭から、総務省によるDPI(ディープ・パケット・インスペクション)検討に対する批判が、そこかしこで起きています。

DPIの全面禁止を主張されている皆さんの意見を総合すると
ISPが人のプライバシーをのぞき見して何をする気だ。同意をとればいいというものではない。全面禁止にしておかないと、同意をしてないユーザーも気付かないうちにDPIされてるなんてこともあるかもしれない。「通信の秘密」を守らないとはケシカラン!
ということのようです。

たしかに、世の中には信用ならないISP事業者はあると思います。が、過去電気通信事業者にいた時代に何回か考えたテーマであったことも手伝って、この「通信の秘密」を根拠にしたDPI全面禁止論に対しては、違和感を覚えています。

国が自らDPIを実施して(もしくはISPから情報をかすめ取って)国民の「通信の秘密」を侵害するようなことは当然NGと思いますが、そのような行為は国の検閲から国民を守る憲法21条2項によって排除されるという前提で、民間ISP事業者がユーザーの認識の下で通信の内容を把握する技術を持つということは、電気通信事業法第4条に定める「通信の秘密」を侵害するものではないのではと。

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そもそも、ユーザーとしては、通信事業者に媒介してもらうことで他人との通信を容易に実現するという“利益”を得ている以上、その媒介者である通信事業者に通信の内容を把握されるのはやむを得ないことであり、「通信の媒介はしても内容を一切把握するな」というのは無理筋です。例えれば、毎日買い物で利用するスーパーのレジの店員さんに「お前がこれからレジに通すものは見るな」とか「私がこのスーパーで毎日同じあのお菓子を買って帰っているという(恥ずかしい)事実は、私のプライバシーに関わることなのだから、今この瞬間に記憶から抹消せよ。」と脅迫するようなもの(笑)。

ちなみにこの例えは、この本の第13章の一節「媒介者が把握しうるTransactional Dataは必ずしもプライバシー情報には該当しない」という事を述べたパート(p278)から。ご参考までに。

Securing Privacy in the Internet Age


DPIの問題は、このようなデータを媒介者として単純把握するという域を肥えて、そのデータを通信事業者の“利益”のために蓄積・分析・利用させていいかどうかという点にも及ぶものかと思いますが、ユーザーにとっての何らかの“利益”と交換に通信事業者にその蓄積・分析・利用を意思を持って許諾する自由は、ユーザーが持ってしかるべきで、それを規制する必要まではないのではないでしょうか。
「DPIで提供される“利益”などない、百害あって一利なし」という論調も見られますが、上述のスーパーの例で言えば、私が毎日買うほど好きなお菓子(そんなものはありません、あくまで例です笑)の在庫を切らさないよう、さりげなく多めに仕入れ、そっと並べておいてくれるようなサービスは、あって然るべきなのかもしれません。

そして、私はむしろ、DPIで用いられるようなパケット解析技術・機器の使用が法律によって全面的に禁止されてしまうことで、警察などの公権力の側が人知れず国民の「通信の秘密」を侵害するような行為を行うことを国民の側が技術的に掴めなくなることの方が、もっと恐れるべきことではないかとも思っています。
 

参考文献:

憲法第21条2項に定める「通信の秘密」と電気通信事業法第4条に定める「通信の秘密」の差異について述べた法律書はあまり多くありませんが、比較的新しめの本であればこちらを。

インターネットと法 第4版

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