テンションを上げたい法務パーソンにはもってこいの本がこちら。
日本育ちのアメリカ人として日本の司法試験に合格されたのち、コロンビア大学のJDを修了されたダグラス・K・フリーマン先生による、アメリカロースクール体験記。弁護士としての先生の存在は共著書『英文契約書の法実務』等で以前から存じ上げていたのですが、先日、自分の出身高校のパンフレットを見ていたところ、フリーマン先生がOBとして寄稿されていて、母校の先輩だったことを初めて知り、勝手に親近感を覚えて遅まきながら本書を古書で購入。
コロンビアのロースクール、実は私も入ったことがあります。
ええ、観光で・・・。

本書では、入学に必要となるLSAT対策から、入学してからの友達・教授との付き合い、テスト対策、ローレビューの編集委員、就職活動のそれぞれの場面で、どのようにフリーマン先生が苦労されていたかについて、具体的で細かなディティールを伴って描かれており、まるで小説を読んでいるかのように感情移入して読みいってしまいます。特に法務パーソンがこの本を読むと、いかに自分が法律の勉強という分野で自分自身に天井を作ってしまっていたのか、と反省させられるのではないでしょうか。そして読み終わったころには、自分もこのぐらい死に物狂いで勉強するぞ、という気にさせてくれるはずです。それでいて、読んでいても「意識高い系」と揶揄したくなるような嫌味を感じることが一切ないのは、著者の人格のなせる業かと。
また、日本法弁護士のフィルタを通して観察されるコモンローのエッセンスが語られているところも、本書の読みどころでしょう。
以前の判例が打ち出した「ルール」を適用するうえで不都合な事実状況に遭遇した場合、判例は新たな「修正ルール」を生み出して対応していく。かくして、コモンローにおけるルールは、新しい事実状況に複雑に対応しながら発展していくのである。もっとも、究極的には、コモンローにおける「法」は「XならばYである」という抽象的な法命題としては存在しない。「Aという事実のもとでは、Bと判断される」「A2という事実のもとでは、B2と判断される」「A3という事実のもとでは、B3と判断される」という無数の積み重ねがあるばかりである。
こうなってくると、「ルール」といっっても、確固とした法命題を記載した日本民法の条文などとは違う、はかない存在であるとわかってくる。日本の民法では、たとえば九十六条に「詐欺又は脅迫に因る意思表示は之を取消すことを得」と書いてあれば、この条文に記載された抽象的なルール自体は不動のものであり、その有効性に疑いをはさむ余地はない、ところが、コモンローにおいては、判例が生み出すルールはそれ自体刻々と変貌していくばかりでなく、そもそも抽象的なルールとしてはきわめて脆弱な存在なのである。
結局、厳密な意味で後続の判例を拘束すると確信をもって言えるのは、ホールディングと呼ばれる当該事件の事実関係をもとに下された結論のみである。
このようなルールおよびその適用のあり方のアナロジーを日本法の世界に求めるとすれば、若干突拍子もないが、刑事事件の量刑と比較できるように思う。かつて私が東京地裁の刑事部で司法修習した際、私の指導を担当された裁判官が、「刑事被告人に対する犯罪の軽重、事件の性質等に応じた妥当な量刑の判断は、星空に『正しく』星を並べるような作業である」と話されたのを記憶している。当時の私は、たとえば傷害事件で被害者が全治一か月の重症を負った事件の判決起案をさせてもらったとき、どの程度の量刑が妥当かさっぱりわからなかった。だが、四か月間の修習の中で様々な事件を経験するうちに、少しずつではあるが、裁判官が「量刑感覚」と称するセンスのようなものが少しずつわかってきた。アメリカのコモンローの適用・判断過程は、量刑よりやや基準が明確ではあろうが、経験と感覚が重きをなす点において、量刑作業と共通する要素を有しているように思う。
このように説明してくると、ブラック教授が一言一句漏らさず判例を読むように口がすっぱくなるほど指導する理由も理解できよう。ある法分野をきわめた者の頭のなかには、判例の流れを築いた重要な判決のイメージの数々が満天の星座のごとく刻まれているのだろう。あらたな状況を前にした場合、「AのケースではBの結果で、A2のケースではB2の結果だからこのケースはおそらくこのように判断されるだろう」と、なかば直感的に分かるのだと思う。判例の重要な事実が一つ違ってくれば、ルールと考えられていたものが適用されなくなり、まったく異なる結論になりかねない。判例を一つずつ細かい事実状況を踏まえ以前の判例と比較しつつ学んでいくことによってのみ、判例中のどの事実が結論を導くうえで不可欠であるかを見極める、有能なロイヤーには欠かせないセンスが身についてくるのである。
ちょうど先週、入って来たばかりの新入社員総合職10数名を相手に丸3日間、契約と利用規約に関する研修の講師を担当した際、そこで教える立場であるはずの自分が、新人に繰り返し説きながら自分にも言い聞かせていたのが、「ビジネスにおいては、契約や利用規約の条文解釈をどうこうする前に、事実がどうであったかを正確に把握することがまず大事」という点。コモンローどころか成文法についてもプロではない私に法律論を語る資格はないかもしれませんが、上記引用のフリーマン先生の言葉によれば、その点だけはどうやら間違いではないようです。
仕事の忙しさに自分を見失いそうになったときに、何度も読み直したい一冊です。










