ある有識者からの問いかけ


前回のブログ「AIガバナンスの正体は、人ではなく文書である──AISIのCAIOガイドが示した "Document in the Loop"」を公開したところ、ある尊敬する有識者から丁寧なメールをいただきました。

その方は、デジタル社会における法的手続の信頼性について研究を進めておられ、紙の書面が担ってきた信頼の構造を「本人性」「真正性」「信頼性」「真意性」という四つの要素に分解して整理されています。そのうえで、私の Document in the Loop は四要素のうち「信頼性(検証・監査可能性)」の再構築に相当するのではないか、という位置づけをしてくださいました。

そして同時に、私に対して次の問いを突きつけられた気がしました。

紙の書面が暗黙のうちに束ねてきた本人の関与、成立の真正、改変防止、熟慮を通じた真意の確保は、デジタル化によってバラバラに分解される。Document in the Loop は、そのうちの一つ(信頼性)を明示的に再構築する試みとしては正しい。しかし、残りの要素、とりわけ「真意性」はどう担保するのか?

実は、このことは別途ブログで書こうと思っていたテーマでしたので、その方への返信に代えてこの記事を書きたいと思います。

なぜCLMは売れないのか


唐突に聞こえるかもしれませんが、ここでCLM(Contract Lifecycle Management=契約ライフサイクル管理)ツールの話をさせてください。

CLMとは、契約書のドラフト作成、レビュー、承認フロー、締結、更新管理、期限管理、権限管理、監査対応までを一元的に管理するツールのことです。AIガバナンスにひきつければ、契約という「文書」をデータとして、会社で行われる仕事のループの中に置き続けるためのインフラです。

理屈の上では、すべての会社にCLMが必要なように見えます。契約書が紙のまま、あるいはPDFのままフォルダに埋もれていれば、契約をした事実が後任者に引き継がれず、支払期限を見落とし、責任上限等契約条件の変更を追跡できず、監査にも耐えられなさそうです。

ところが、現実のビジネスの世界では、CLMはまったくと言っていいほど売れないのです。

正確を期せば、グローバルな大企業や大手法律事務所では導入が進んでいて、外国では一部製品が寡占的な地位を占めています。ただ、ビジネス市場全体で見れば、CLMの普及率はお世辞にも高いとは言えない。リーガルテックの中で最も必要性が明白そうな製品が、ほとんど売れていない。これはなぜでしょうか。

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法務パーソンの本能的気づき「契約書をデータベース化してもすぐに陳腐化する」


CLMベンダーの営業は、その導入メリットをこう語ります。

「紙契約・電子契約にかかわらず横断的に検索可能になります」
「期限アラートを自動化できます」
「条項の傾向分析ができます」
「監査証跡が残ります」

どれも正しく、契約書管理の理想の姿に見えます。しかし、多くの法務部門は「なるほど、便利になりますね」と言いながら、現実には導入しません。なぜでしょうか?

私なりにこの理想と現実のギャップについて考えると、こういうことではないかと思うのです。契約書に書かれた「合意」は、締結した翌日からビジネスの現実と乖離し始める。取引先との力関係が変わる。市場環境が変わる。担当者が替わる。書面に書かれた条項はそのままでも、当事者の内心──つまり「真意」──は日々動いていく

契約書は締結した瞬間から形骸化する、とまでは言いませんが、「いま手元にある契約書の文言が、当事者双方のいま現在の真意や内心を正確に反映しているか」と問われれば、相当数の契約書について、答えはNoでしょう。

このことを、お客様の多くは言語化まではできていないまでも、本能的には気づいている。だから、多額の費用をかけて契約書をデータベース化することに、価値を感じない、そのデータの現在価値が薄い以上、将来に向けた投資に見合わないと感じているのです。

CLMが売れない最大の理由は、UIの出来でも価格でもなく、「契約書の不動文字をカネをかけてデータベース化したところで、そのデータとしてのビジネス上の価値はすぐに陳腐化してしまう」という、身も蓋もない事実にあるのではないでしょうか。

「真意性」は締結の瞬間だけの話ではない


ここで、冒頭の有識者が提示した四要素のうちの1つである「真意性」に話を戻します。

その方は、紙の世界では対面での説明、署名押印までの時間、紙面を読む行為が、内容理解や熟慮の機会を一定程度組み込んでおり、意思形成に必要な説明・理解・熟慮の機会が確保されやすかった、と整理されています。これはまさにその通りで、デジタル化が進むほどに「クリック1回で完了する」プロセスとの対比で、紙の持っていた機能の大きさが際立ちます。

たしかに、締結時に真意を確保することの重要性は疑いようがありません。しかし、ビジネスの現場で契約書・覚書・社内規程といった合意文書に日々触れている法務の感覚からすると、真意性の問題はそこで終わらないのではないか、と思うのです。

契約は締結された翌日から、ビジネスの現実とともに動き始めます。昨日は完全な合意だったものが、今日のビジネス環境の変化で、当事者の一方にとっては不本意なものに変わっている。今年のはじめには契約当事者双方想像もしなかった武力行使を伴う紛争が今月になって発生したことで、来月には契約したビジネスの前提条件そのものが無くなってしまっているかもしれない。これは当事者の不誠実ではなく、ビジネスの自然な動態です。

このように、真意性という概念を、締結の瞬間だけでなく中長期的な時間軸の中で捉え直すと、前述したCLMが売れない理由ともつながってきます。締結時点の合意を静的に保存するだけでは、データベースの中身はどうしても「過去の合意の記録」にとどまる。だから、投資に見合う価値を感じにくいのではないでしょうか。

Document in the Loop の「Document」は不動文字ではない


私は前回のブログで、「AIガバナンスの正体は人ではなく文書である」と書きました。この主張は撤回しませんが、そこで述べた「文書/Document」は、一度書いて確定したら動かさない不動文字を前提としていません。

紙のパラダイムに囚われていた従来の文書観では、文書は完成品そのものでした。署名押印された契約書、承認済みの稟議書、確定版の議事録。それらは「固定された最終形」として保管され、参照されてきた。この文書観の上では、文書をデータベース化するCLMは「過去の完成品のアーカイブ」にしかなりません。

しかし、デジタル時代の文書/Documentは、本来もっと可変的なものとして扱える・扱うべきだと考えます。

たとえば、こういう世界観です。昨日締結した契約について、当事者の一方が「価格条件について再協議したい」と感じ始めた。その気持ちの変化を、今日になって契約管理システムに書き足す。相手方にも共有される。双方の現在の認識がリアルタイムに可視化され、正式な変更合意に至ればバージョンが更新される。至らなくても、「この時点でこの条項について認識の乖離が生じていた」という事実が証跡として残る。

翻って見れば、ソフトウェア開発の世界ではすでに当たり前のことです。仕様書はGitで変更履歴が管理され、イシューやプルリクエストで合意形成のプロセスがすべて残る。仕様の「真意」が変わったら、変わったことがコミットログに刻まれる。文書は「完成品」ではなく「プロセスの現在地」として機能しています。

前回紹介したAISIのCAIOガイドブック自身が、まさにそのことについてこう書いています。

「なお本ガイドブックは、AI 技術動向、事業環境、関連法令・ガイドラインの改定等を踏まえて随時更新される「Living Document」として運用されるべきである。」(『Chief AI Officer ガイドブック』3頁)

ガバナンス文書そのものが不動文字であってはならないというのは、前回ご紹介したAISI自身の立場でもあるわけです。

すべての合意文書は、リビングドキュメントになっていく


この発想を押し広げると、こうなります。

ビジョン、規律、ルール、契約、合意…こうした文書は、すべてリビングドキュメントとして扱われるべきです。一度書いて終わりではなく、状況の変化に応じて書き足され、改訂され、その変遷をすべて証跡として残さなければならない。

だからこそ、すべてを電子化・デジタル化する必要がある。

紙の文書をリビングドキュメントとして運用するのは、物理的にほぼ不可能です。改訂のたびに印刷し直し、旧版を回収し、関係者に再配布し、どの版が最新かを台帳で管理する。これでは社会は回りません。日々変わる状況に合わせてスピーディに改変し、その証跡を残すには、デジタルであることが前提条件です。

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ここに、CLMが本来進むべき方向も見えてきます。CLMが売れないのは、CLMという製品カテゴリが不要だからではありません。既存のCLMが「過去の完成品のアーカイブ」という静的な文書観の上に乗っているからです。もしCLMが、契約を「締結して終わり」の固定文書ではなく、当事者間の合意の現在地をリアルタイムに反映するリビングドキュメントとして扱うようになったら、その価値は一変するはずです。

Document in the Loop の本当の意味


Document in the Loop とは、固定された完成品の文書をファイリングして保管することではありません。文書が生きたまま輪の中にあり続けること、つまり、組織の現在の意思と判断と状況を反映し続け、変化があればその変化自体が証跡として刻まれ、いつでも現在地と過去の経緯の両方を遡れる状態のことです。

信頼や確かな判断のベースとして文書をループの中心に置きつつも、そこに書かれた内容や真意が永遠に変わらないという前提には立たない。

冒頭の有識者が指摘した「真意性」の問題に対する、私なりの回答はこうです。真意性は、締結時に一度だけ確保して終わるものではない。当事者の真意は動き続ける。だからこそ、文書もまた動き続けなければならない。そして、その動き続ける文書のすべてのバージョンと変遷が検証可能な形で残ること、それが、Document in the Loopの本当の意味です。

文書がまだ紙であった時代には、「確定した過去」を保存すれば十分でした。しかし、これだけ不確実性が高まった現代において、文書は、デジタルの力を借りて「変化し続ける現在」を記録するものになるべきです。その移行ができて初めて、AIガバナンスも、契約管理も、そして登記やその他の法的手続も、社会の中で新しい信頼の基盤となるのだろうと思います。