ルールだけではAIに攻略(ハック)されてしまう
前回の記事で、ユヴァル・ノア・ハラリが述べた「法律が言葉でできているなら、AIが法を支配する」という警告を取り上げました。言葉で編まれたシステムは、言葉の操作に長けたAIに侵食される。だから法務パーソンは「言葉の向こう側」に立つべきだ、と。
では「言葉の向こう側」とは、具体的にどこで・どんな景色なのか?今回はその続きを、もう少し普段の仕事や会社生活に引き付けて考えてみたいと思います。
法務の世界では、ここ数年で「ルールメイキング思考」が市民権を得ました。シティライツ法律事務所 水野祐弁護士が提唱した概念で、既存のルールに従うだけでなく、ルール自体を主体的にデザインし、変えていくマインドセットを指します。イノベーションと規制の関係を再定義する優れたフレームワークであり、次世代法務のキャリア指針としてもイメージしやすく、私自身ここ数年大切に守ってきた考え方です。
ただ、ハラリの警告に照らすと、ルールメイキング思考にはひとつの構造的な限界も見えてきます。
ルールメイキングの成果物は、ルールです。法律であれ、ガイドラインであれ、契約条項であれ、最終的には言葉で書かれたテキストとして世に出る。そしてハラリが指摘したとおり、言葉で書かれたものは、AIが最も得意とする処理対象です。ルールを読み解き、抜け穴を見つけ、最適な回避策を組み立てる。その処理能力において、AIはすでに多くの人間を凌駕しはじめている。
つまり、革新的なルールをどれほど精緻に作っても、それが言葉で書かれている限り、AIによって飲み込まれ、攻略(ハック)される運命にある。ルールメイキングは必要条件だけれど、それだけでは足りない時代に入りつつあるのではないかという懸念を持っています。
ルールの手前にある「ポリシー」、そのさらに手前にある「ハビット」
法務パーソンがAI時代の次のキャリアを考えるのに指針とすべきものは?私が最初に思いついたのは、ルールメイキング思考の手前に「ポリシーメイキング思考」を置くことです。
ここでいうポリシーとは、個々のルールが生まれる前提となる「価値観」。なぜそのルールが必要なのか、何を守りたいのか、どんな世界を実現したいのか。その根っこにある判断基準そのものをいいます。AIにはない(はずの)意志を持つ人間ならではのものです。
しかし、よく考えるとポリシーもまた、ルールと同様言葉にできてしまいます。「当社は顧客の信頼を最優先にします」「私たちは公正な取引を重視します」。どれも立派なポリシーですが、言葉で書けてしまう以上、AIに解析され、最適化され、場合によっては形骸化される余地がある。
それでもAIに攻略されない領域はあるのか?探しに探して、見つかりました。
それは「習慣」です。私がここで提唱するのは「ハビットメイキング思考」です。ポリシーを言葉として掲げるのではなく、組織の中に習慣として根づかせる取り組み。理屈で判断するのではなく身体で反応できる状態を作る。ルールメイキングを一歩進めたのがポリシーメイキングとすれば、さらにそれをもう一段進化させたのが、ハビットメイキングです。
アリストテレス曰く「立法者の仕事は、市民を習慣づけて善き人にすること」
実は、このアイデアには2400年の歴史的裏づけがあることを、後で知りました。アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第2巻で、こう述べています。
人は、正しいことを[実際に]為しながら正義の人となり、節制あることを[実際に]為しながら節制ある人となり、勇気あることを[実際に]為しながら勇気ある人となる。(中略)立法者は、市民がすぐれたことを為すように習慣づけるものである。いかなる立法者であっても立法者の意図はそこにある。ただし、当の習慣化を立派に行わない立法者は、誤ってしまう。そしてこの点において、さまざまな国の体制のあいだで優劣の差が生じてくるのである。(『二コマコス倫理学(上)』P102)
アリストテレスにとって、徳とは知識ではなく習慣(エトス)です。勇気が何であるかを知っているだけでは、人は勇敢にはなれない。勇敢な行為を繰り返すことでそれが習慣となり、はじめて勇気がその人の性向(ヘクシス)、つまり人格に根づいた状態になる。
この区別は、法務の文脈に驚くほど正確にあてはまります。
「コンプライアンスが社会から求められています。贈賄やそれと誤解される行為は禁止します」と社内規程に書くこと。これは身近なルールメイキングです。「当社は顧客からの信頼を従業員の幸せよりも優先します」と経営理念に掲げること。これはポリシーメイキングです。しかし、社員が取引先から不正な要求を受けたときに、ルールやポリシーを参照するまでもなく、社員一人ひとりが腹の底から「それはうちではやらない」と感じて反射的に・当然に拒絶すること。これがハビットメイキングの領域です。
言葉にすれば同じようなことを言っているのに、組織に与える力がまったく違ってくるのがお分かりいただけるのではないでしょうか。
なぜ「習慣」はAIに攻略されにくいのか
ルールは言葉で書かれているからAIに読める。ポリシーも、言語化された瞬間にAIの処理対象になる。では習慣はどうでしょうか。
習慣とは、個人や組織の行動パターンが身体化されたものです。明文化されていないし、されていたとしても、テキストと実態の間には常にギャップがある。「うちの会社はこういうとき、こう動く」という暗黙の行動規範は、社内のSlackログや規程集をすべて学習させても、AIには完全に再現できない。なぜなら、それは言葉ではなく、人と人との関係性や経験の積み重ねの中に存在しているからです。
科学史家の村上陽一郎は、こう述べたそうです。
人間が何をすべきか、何をなすべきでないかの線引きは、科学では用意できません(山口周『ニュータイプの時代』Kindle版位置No.1983/4328より孫引き)
テクノロジーが進歩してルールの整備が追いつかない時代には、外在的なルールだけでなく、内在的な規範に基づく判断が必要になる。山口氏の言葉を借りれば、「ルールより倫理」の時代です。そして倫理とは、テキストに書かれた原則ではなく、人の内側に習慣として刻まれた判断の型にほかなりません。
『ニコマコス倫理学』第6巻では、思慮深さ(フロネーシス)とは
人間にとっての善悪が関わる行為の領域における分別(ロゴス)をそなえた真なる性向(『二コマコス倫理学(下)』P45)
と定義されています。ここでいう「性向」とは習慣によって培われた判断力のことです。思慮深さは教科書から学べる知識ではなく、実践の積み重ねによってのみ獲得されるものです。
カルトと紙一重の自覚を持ちながら
ただし、このハビットメイキングには危うさもあります。
習慣の力が強いということは、裏を返せば、意図的に設計された習慣によって人を特定の方向に誘導できるということでもあります。本能的欲求や恐怖感を動員して「正しい行動パターン」を刷り込む営みは、一歩間違えればカルトの洗脳と紙一重です。
その境界線を引くものは何か。ここでもアリストテレスが手がかりを与えてくれます。アリストテレスの徳論は、特定の行動を無批判に反復させることを説いているのではありません。習慣づけの先に思慮深さ(フロネーシス)、つまり個別の状況を自分の目で見て自分の頭で判断できる実践知が育つことを求めています。盲目的な服従ではなく、自律的な判断力の涵養。そこがカルトとの違いです。
法務の仕事に引きつければ、「この契約はうちのポリシーに合わないからダメ」と機械的に判断するのではなく、「この場合はポリシーの趣旨に照らして、こう構成し直せばいけるのでは?」と現場が柔軟に考えられること。習慣の上に自律的な判断が乗っている状態になれば最高です。この状態に組織を育てるのが、ハビットメイキングのゴールです。
AI時代の法務パーソンの仕事は「ハビットメイキング」
長くなりましたが、まとめると以下のとおりです。
ルールメイキングは、ルールを再設計する仕事。しかし、AIが最も得意とする領域になりつつある。
ポリシーメイキングは、ルールになる前の価値観を明確にする仕事。しかし、言語化した途端にAIの処理対象になる。
ハビットメイキングは、価値観を組織の習慣として身体化する仕事。対話、経験の共有、ときに感情的な衝突も含めて、人の判断の「型」そのものを形成する営み。
「法令を知っている」から「ルールを作れる」への進化を推進したのがルールメイキング思考だとすれば、その先にあるのは「価値観を組織の習慣として定着させる」ハビットメイキング思考ではないでしょうか。
ハラリは「言葉でできたものはAIに支配される」と言いました。ならば、法務パーソンの次の仕事は、言葉にならない習慣の領域を耕すことなのだと思います。契約書の文言を磨くのではなく、契約を結ぶ人間の判断の型を育て、習慣化にまで導く。まるで、新入社員の時に最初にお世話になったマナー講師やメンターを務めてくれた先輩、もっと遡れば小学校の先生のような役割かもしれません。
アリストテレスが2400年前に示した「徳は習慣から生まれる」という洞察が、AI時代の法務パーソンにとってこれほど切実な意味を持つとは。ご本人もさぞ驚いていることでしょう。













