自分が保有する知的財産の利用を第三者に許諾することを、ライセンスと言い、そのために結ぶ契約が、ライセンス契約です。
ライセンス契約に関するひな形は、既に相当な数が世の中に出回っていて、それを流用すれば、だれでも“それらしい”契約書が作れてしまいます。しかし、これまでにない新しいタイプのプロパティをライセンスしたり受けたりしようとする際に、そういったひな形を大きくアレンジした契約書を作らなければならなくなると、改めて、
1)ライセンス契約とは、そもそも何を許諾するものなのか?
2)ライセンスの対象としているものは、法的に知的財産と言えるのか?
3)ライセンスによって、どこまで・誰までを制約しようとしているのか?
について考えさせられ、深い沼に足を取られそうになります。特に、プロパティが多様化し続けている最近では、その頻度は高まるばかりです。
先週もまさにそんな状態に陥ったため、この週末は基本に立ち返ろうと、ブートキャンプとばかりに以前読んだ(はずなのに内容を忘れている)書籍たちと格闘しながら、ライセンス契約について再考していました。中でも、以前もご紹介したこの1冊は、混乱してしまった私の頭をすっきりと整理してくれるものでした。
以下、基本的なことではありますが、改めて自分の胸に刻むための写経としてのメモを。
1)ライセンス契約とは、そもそも何を許諾するものなのか?
他人が保有している知的財産権を利用するためには二つの手段があり得る。一つはそのものから当該知的財産権を譲り受けて自らが当該知的財産を保有することであり、もう一つの手段は、当該知的財産権を第三者に保有させたままで、当該権利の利用権を取得する方法である。後者の手段がライセンスである。
ライセンスとは、知的財産権者以外の第三者が当該権利にかかる財産的利益を利用しようとする場合(特許権であれば特許発明を実施しようとする場合)に、当該利用行為が権利侵害を構成しないように、権利者から取得する当該利用行為についての許諾のことであり、端的には、権利者が財産的利益を得ようとする者に対し、当該利用行為を禁止しないという消極的な受忍義務を負担する契約であると説明される。
この点は、多くのライセンス契約の実務書では端折られている点だったりします。例えば、今ちょうど手元にあるそれなりに定評ある某書でも、
“ライセンス契約とは、知的財産・知的財産権の実施・使用・利用に関する契約で、民法上に規定されている13種類の有名契約ではなく、無名契約である”
と説明しているのみです。
「禁止権を行使しないことの約束である」という本書指摘のポイントを理解し意識できているのとしていないのとでは、契約書の作り方にもかなりの差が生まれるように思います。
2)ライセンスの対象としているものは、法的に知的財産と言えるのか?
著作権には、特許権や商標権に関する専用実施権(専用使用権)に相当する権利は存在せず、著作権法が定める利用許諾は、特許権に関する通常実施権と同様の権利である。すなわち、著作権の利用許諾の内容は、当事者間の合意により、どのようにも定めることができ、かかる合意内容を定めるのが著作権の利用許諾契約(ライセンス契約)ということになる。
なお、財産権としての著作権の具体的内容は、著作権法21条以下に定める、複製権等のいわゆる支分権であるから、著作権の利用許諾契約とは、第三者がこれら支分権を行使することを許諾し、著作者としての権利を行使しないことを約する契約にほかならない。
非製造業では特許よりも圧倒的に著作権のライセンスが多いと思われます。そして著作権の場合、上記引用部にあるとおり法令でかっちりと決まった型がないため、自己流のライセンス契約がまかりとおることになります。とはいっても後段引用部にあるとおり、著作権には細かい支分権が法定されているわけで、その支分権を意識した許諾内容を規定することは可能なはず。しかしながら、そのようなライセンス契約にお目にかかったことがほとんどありません。
昔から議論は尽きないモノのパブリシティ、アニメやマンガのキャラクター、有名人の氏名、工業製品のデザインの二次利用、俳優による声の演技、効果音、フォント、データ(データベース)の利用許諾なんかも、権利の狭間もしくは股がりの中で、この辺の整理が曖昧になりがちな分野かと思います。
3)ライセンスによって、どこまで・誰までを制約しようとしているのか?
この点で留意すべきは著作物の使用行為である。すなわち、特許権等とは異なり、第三者が著作物を使用すること(たとえば小説を読んだり、絵画を鑑賞したりする行為がこれに該当する)自体は、著作権法上、何ら禁じられてはいないから、これらの行為を許諾することは無意味である。しかしながら実際の契約実務においては、使用許諾契約というタイトルのライセンス契約が締結され、その中で著作物の使用そのものを許諾の内容とするライセンス契約が多いのも事実である。
これは耳が痛い…。著作権法上禁止し得ないことを禁止したり、著作権がまるでアクセス権であるかのように条件を付けて使用を制約したりする契約のなんと多いことか。頭ではわかっているつもりでも、そういった契約を今まで書いたことがないとは申し上げられません。
ライセンスを受けた者がいわゆる下請業者に対して特許製品の製造を行わせる場合、当該下請業者は特許製品の製造を行うについて特許発明を実施しているか否かという問題がある。仮に下請業者が特許発明の実施行為を行っているのであれば、当該下請業者は、自身の実施行為につき、自ら特許権者から別途ライセンスを受けるか、特許権者からライセンスを受けたものからサブライセンスを受ける必要がある。
この点について最高裁は、通常実施権者との契約に基づき、貸与を受けた金型を使用して製品を鋳造し、その全部を通常実施権者に納入した事例において、当該製造は通常実施権者の補助者として、その事業のためになされたものであるから、かかる下請業者の行為は通常実施権者の実施権の行使としてなされたものであって、下請業者の特許権侵害行為は存在しないと判断している(最判平成9年10月28日判例工業所有権法第2期第13巻2269の26頁【ナット鋳造金型事件】)。
前述の利用権と使用権(アクセス権)との取り違えとも似た事例として、ライセンシーが下請業者を使う際に、「ライセンサーがライセンシーに対し下請業者へのサブライセンスを認める」という構成を採用しているライセンス契約書を見ることがあります。状況によってはこれが必ずしも間違いとは言い切れないにせよ、ライセンスとは何かを深く考えずにそうした契約書を作ってはいけないぞと、肝に命じておきたいところです。











