3年遅れ。原著の発刊から数えると実に5年遅れ。
2010年。日本でもfacebookブームが本格化し、クラウドの企業導入も当たり前になりはじめ、ネットのプライバシーの議論が盛り上がりはじめた年。そのころにはすでにアメリカのプライバシー論をリードしていたのがダニエル・ソロブです。しかし、なぜか日本においてはこの2013年においてもほぼ無名と言って等しい存在。その理由が「書籍が邦訳されていなかったから」だけだとしたら大変残念ですが、そのソロブの著作が、ついに、ようやく、初めて邦訳されました。
弊ブログでも2010年10月に原著“Understanding Privacy"を紹介している記事が残っています。当時の私はこのソロブ論に大いに触発され、この本を引用しながら論文を書き、翌年情報ネットワーク法学会の学会誌に掲載していただくにいたります。それだけのインパクトを受けた本でした。同じ書評の繰り返しは控えたいと思いますが、
ソロブは、プライバシー権そのものを言葉で定義するのではなく、「プライバシーを脅かす行動には何があるか」を分類して捉えることで、時代によって変化するプライバシー観を捉えていくことを提唱しています。詳しくは本書にて。
あの時の書評ではこのようにもったいぶって(笑)あえて紹介しなかった、この本の一番「おいしい」部分を表現した図がこれ。
- ウォーレン・ブランダイスが最初に提唱したあの有名な「放っておいてもらう権利」も
- その後特に日本で(佐藤幸治教授により)間違った形で広まった「自己情報コントロール権」も
- 米国憲法修正4条と判例により定着しているようにみえる“reasonable expectations of privacy
doctorinedoctrine(合理的な期待権論)"も
何が不十分なのか。たとえば、今日本を騒がしているビッグデータの議論を例に挙げてみましょう。自己情報コントロール権をベースに法的な整理を試みる日本では、ビッグデータの活用において、情報収集時に取得する同意の透明性と、収集後の情報訂正・オプトアウトの権利の確保が大切だと言われています。では本当にその2つがあれば、ビッグデータ利活用はなんでもOKになるのでしょうか?必要十分な透明性をもった同意取得とは具体的にはどんなもの?情報収集時には同意をしていたユーザーが理由なく気が変わってオプトアウトを要求するという事態をどう捉える?・・・まじめに考えるほどに、きっと自己情報コントロール権では説明ができない部分が噴出するであろうと思われてなりません。2008年に刊行されたこの本にはビッグデータのキーワードこそありませんが、ソロブは、ビッグデータ的な脅威もきちんと想定した上で、それによって脅かされるプライバシーの問題を「集約」「同定」「二次利用」の問題に分類して捉え、これらについて争われた米国判例をもとに、これまでのプライバシーの捉え方がいかに視野の狭いものであるかについて、細かく分析を試みます。このような点を見ても、論点がすれ違って空中戦になりがちなこれからのプライバシー議論の土俵を合わせる基軸として、ソロブが打ち立てたこの分類は時代がかわっても色褪せない、普遍的なものであることが分かります。
@ikegai先生がtwitterで教えてくださった最新論文においても、ソロブは同意取得偏重に過ぎる自己情報コントロール権を礼賛する傾向に疑問を投げかけています。こちらも必読でしょう。
▼Privacy Self-Management and the Consent Dilemma(Daniel J. Solove)
In order to advance, privacy law and policy must confront a complex and confounding dilemma with consent. Consent to collection, use, and disclosure of personal data is often not meaningful, and the most apparent solution — paternalistic measures — even more directly denies people the freedom to make consensual choices about their data. In this Article, I propose several ways privacy law can grapple with the consent dilemma and move beyond relying too heavily on privacy self-management.
本書の訳者大谷卓史氏も、この本が日本のプライバシー論に与える影響を十分に承知し、なみなみならぬ情熱と使命感をもって訳されていることが、訳者あとがきのこんな一節から伝わってきます。
適切な訳語・訳文の選択がむずかしい場合や疑問点があった場合には、電子メールで著者に問い合わせを行った。(略)ところで、“right to be let alone"の訳語は、法学分野では「一人にしておいてもらう権利」などの訳が現在でも散見されるものの、本来の意味を考えれば、本書で訳したように「放っておいてもらう権利」となる。著者に訳語の選択について相談したところ、この概念は必ずしも"solitude"の意味は含まないとの説明をいただき、あえて後者の訳を採用した。
最近の日本における個人情報コントロール権説復権の大波に飲まれかかっていた私の心に、まだこんな安易な学説に負けちゃいけないと、火を灯してくれた一冊です。
2013.8.21 22:00追記
誤字を指摘いただきましたので訂正。ありがとうございました。











