法務な方には、是非この映画評をご覧になることをおすすめしたいです。ただし、ややネタバレ注意。
▼『ダークナイト ライジング』 バットマン最大の敵に立ち上がる(映画のブログ)
各作品でバットマンは強敵と戦ってきたが、シリーズ全体を通じてバットマンを悩ませるのは、悪魔の頭ラーズ・アル・グールでも、犯罪界の道化王子ジョーカーでも、傭兵ベインでもない。おそらくバットマンにとって最大の敵は、スケアクロウことジョナサン・クレインである。
キリアン・マーフィが演じるこの精神科医は、『バットマン ビギンズ』(2005年)においては幻覚ガスを撒き散らして人々の恐怖を煽り、『ダークナイト』(2008年)では精神異常を誘発する麻薬を売りさばき、『ダークナイト ライジング』(2012年)では司法が崩壊したゴッサム・シティでリンチ裁判の判事を務めている。
このシリーズの悪役たちは、幾つもの点でバットマンことブルース・ウェインと共通していたり、その裏返しであったりするのだが、とりわけリンチ裁判で判決を下すクレイン医師は、個人的な正義感から私刑を繰り返すブルース・ウェインが最終的に行き着く姿であるかもしれない。
治安のためなら暴力も辞さない機関として、私たちは警察を設置している。警察が十全に機能していれば、私刑を行うマスクの男は不要かもしれない。
だが『ダークナイト ライジング』において、警察の機能は疑問視されている。
警察が散々な扱いを受ける一方、市民たちは自警団を肥大化させ、気に入らない人間を次々にリンチ裁判にかけていく。
悪事に頬かむりせず立ち上がるとは、こういうことなのか。
前二作と同様、本作においてもスケアクロウことジョナサン・クレインは姿をくらましてしまった。人々に恐怖を植え付け、社会不安を煽り、でたらめな断罪で他人を攻撃する者は、バットマンにも片付けられない難敵なのだ。
それが手強いのは、爆弾犯や殺人犯のような特定の人物を倒せば済むものではないからだろう。
警察等権力や社会の監視の目には限界がある。だからこそ、企業内の法務・監査機能を強化し、自主的なコンプライアンスに務めることが重要だ!と叫ばれて、もう何年が経ったことでしょうか。しかし、その最高責任者たる経営者はもちろんのこと、それでメシを食っている法務パーソンでさえ、「コンプライアンスの推進」という言葉に違和感を隠し切れずにいると思います。
権力や社会の監視が無力ならばと、法律の力で社外取締役の設置義務化を図り、彼らに企業の中で正義に燃えるバットマンを演じさせ、コンプライアンスに反することは彼らが「私刑」を下して直せばいい。会社法改正案はそういう理屈だったのでしょうが、そもそもバットマンになれる人材がどこにいるのか?バットマンが下す私刑が必ず正しいのか?という経営者のもっともな反発に会い、骨抜きとなりました。

一方で、この間法務パーソンは何をしていたかというと、「世の中ではこんな事件が起きてます。ウチだって、例外じゃないですよ。コンプライアンスしないと明日潰れるかもしれませんよ。」従業員に対して研修と称してこんな話をさも知り顔で語り、現場にコンプライアンス担当者を設置し、規則を強化して違反した者に懲戒を乱発する・・・。まるで、スケアクロウが市民の不安を煽って自警団を組織させリンチ裁判を乱発したかのように。コンプライアンス経営が社会の要請と言われ抗えなくなったとはいえ、私が経営者だったら、スケアクロウのような従業員をもっと雇え・好きになれ、という方が無理な話です。

やがて市民たちの自警団と警察が衝突するとき、遂にバットマンは警察と共闘する。
そのとき警察官たちが叫ぶ「警察は一つだ」というセリフは、勝手に振る舞う自警団を否定するとともに、私刑執行人たるバットマンをも否定している。
『ダークナイト ライジング』では、立ち上がるのはすでに当然のことなのだ。
その上でいかに独善に陥らず、人々と協調し、理性的に立ち上がるかが問われている。
法務パーソンはコンプライアンスとどう向き合うべきか。少なくとも、雰囲気にほだされた根拠なき「私刑」「リンチ」を下す人であってはならないと、この映画評に触れて思ったのでした。









