「監視社会」とついたタイトルを見ると、どうも監視カメラによるプライバシー侵害のようなことを想像してしまいますが、この本が取り上げているテーマはそうではなく、身元の特定にIDカードやバイオメトリクスを用いることが、いかに権力の強化や差別の助長を招くのかといった社会的影響について。

いつのまにか閣議決定された共通番号制度法案(マイナンバー法案)の是非を考えたい方や、自社サービスにID/パスワード以外の本人特定手段を検討されている方などに、特にお薦めしたい本です。

膨張する監視社会 個人識別システムの進化とリスク膨張する監視社会 個人識別システムの進化とリスク
著者:デイヴィッド・ライアン
販売元:青土社
(2010-09-25)
販売元:Amazon.co.jp



職場に入る時、空港で優先列に加わる時、単にATMからお金を引き出す時でさえ、身元確認が必要となる。正しいIDがなければ、緊急医療さえ受けられない。ウェブサイトにはアクセスを拒否され、国境では引き返させられる。本書で私は、新たなID、とりわけ「国民ID」導入へと向かいつつある現在の傾向によって引き起こされている問題について概観しようと思う。
近代以降においては出生届や住民票といった記録や、身分を示す書類などによって、身元特定は合理化された。今日では、マイクロチップを埋め込み、バイオメトリクス(生体認証)や、その他機械で読む形の身元確認を行えるIDカードが、時には国民全員が持たされる「国民ID」として、提案され、推進されているのだ。これはデータベースとも接続され、組織の側では多くの個人情報にアクセスでき、かくして監視が拡大する。機械が読み込む形のIDなどで身元特定のプロセスが変わるだけでなく、政府の情報へ市民が機械でアクセスできることで、市民権の性質自体もまた変わるだろう。

私も先日NYに行きましたが、入国/出国審査では事前のESTA登録、顔写真・すべての指の指紋の収集に加え、性器も丸見えと悪評高いフルボディスキャナー、そして審査官の手によるしつこい身体検査(かなりすみずみまで念入りに触られました)のフルメニューを受け、不快な思いをしました。最近では、手荷物に入っていたコンピュータの中身に違法な動画が入っていたことで入国を拒否された事例があるとも聞きます。そういった空港の審査で収集される情報のいくつかは、間違いなくパスポートの個人データと紐付ける形で身元特定のためのデータとしてアメリカ政府のデータベースに保存されているはずです。

国境をまたぐ際にはこういった身元特定と監視に従わざるをえないのはしょうがないとしても(いやそれすらも将来的には解決すべき課題かもしれませんが)、ひとたび“国民ID”の付与が行われると、国内においてもこれと同じような“監視下”におかれかねない点について、我々はもっと危機感を持つべきである。そのことを、世界各国の国民ID付与の歴史・実例・検討経緯を紐解きながら理解させてくれます。

たとえば、以下のページでは、イタリアですでに導入されている国民IDとそのカードがどのようなデータベースと接続されているのかを示してくれています。どうも「マイナンバー法案どうあるべき」と法律の建付けや理屈だけで考えているとすっきりしないこの問題も、こういったリアルな事例を目の当たりにして比較しながら考えると、その必要性含め見えてくるものも多いはずです。

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また、そういった対国家権力という視点だけでなく、民間企業人としても注意すべきことがあると、著者は指摘します。

新たなIDシステムの導入は常に議論を伴ってきた。例えば英国、米国、フランス、オーストラリア、日本、韓国など、みなそうである。しかしこうした論争も、ほとんどの場合、変化の核心には届かなかった。その大きな理由は、議論の焦点がカード自体や、警察がその携行を義務付けるのではないかとのおそれに当てられていたからである。市民の自由という観点からは、もちろんこうした事柄も重要ではあるのだが、より注目すべきなのは、新たなIDカードが電子的インフラに、とりわけ国家レベルの記録システムに依存しているという点である。国家IDであるかどうかにかかわらず、あらゆるIDカードシステムの監視権力の源泉はそこにある。人々を異なったカテゴリーに分け、それぞれ違った扱いをするために。

実際アメリカでは、法律上は規制されているにもかかわらず、サービスの提供にあたって社会保障番号の提供を義務化する企業が多数あります(この点については.Nat Zone「米国社会保障番号(SSN)の民間利用制限なしという神話」が大変参考になります)。こういった事例のように、国民IDを付与すると、それに依拠した身元特定により人権侵害(たとえば◯◯人は統計的に金払いが悪いから与信限度を下げる等)が助長されるのだという著者の指摘は、我々企業人として気をつけておかなければならない視点だと思います。

私自身も、企業法務として、個人から収集する情報の正確性確保や債権の確実な回収・貸倒れ防止を目的に、免許証や住民基本台帳カードの現認を含めた厳格な身元特定をサービスインの条件とすべきでないかと真剣に検討した経験があります。日本での感覚ですと、「いまどきどこのビデオレンタル店だって当たり前のように免許証を出させて番号を控えたりしてるんだから、別にいいじゃん」となりがちです。しかし、本当にそれが必要なのかや、そうやって集めた情報が当初の目的を超えて悪用・差別的な利用につながらないかも含め、プライバシーに関わるタッチーな情報収集について、アンテナを高くし事例を集め感覚を研ぎ澄ませて慎重に考える態度が、法務パーソンにはより一層求められるようになるでしょう。