なぜテレワークは広まらないのか?その理由を豊富な取材に基づく正確で端的な筆致で直視させてくれる良本。
テレワーク―「未来型労働」の現実 (岩波新書)著者:佐藤 彰男
販売元:岩波書店
(2008-05-20)
販売元:Amazon.co.jp
これまでテレワークと言えば、労働者サイドからのワーク・ライフ・バランス的要請の色合いが強かったわけですが、2011.3.11の震災、そして今も引き続く計画停電・原子力発電所の危機を契機として、企業サイドのBCP的要請からもテレワークが広まるのではないか、という言説が多く見られるようになりました。企業の生産性維持・事業継続のためのテレワークという文脈が現実味を帯びてきたのでは?と。私もその言説に加担した一人です。そして、この本の著者佐藤彰男氏も、そういった意味でのテレワークのメリットは否定していません。
否定はしないものの、メリット以上に過酷な労働を生むデメリットが大きく、導入は慎重に考えたほうがよい、というのがこの本を通じての著者の主張となっています。
どこでも働ける/働かされることのメリットとは何だろう。結局のところ、その理由は労働の効率化につきる。情報化の進展によって、決まったオフィスだけではなく、いたるところで働ける/働かされるようになったので、全体としてみれば仕事の能率は向上する。労働の効率化こそが、テレワークが持つ実質的な価値なのである。
この場合の効率化とは、売り上げの上昇や単位時間内の書類処理量の増加といった、狭い意味での労働生産性の向上だけを指すのではない。たとえば「通勤時間の無駄をはぶく」「営業所を廃止する」といったことも、この意味での効率化に含まれる。
そしてこの効率化の方向性が、テレワークの実態を決定していく。通勤をなくして浮いた時間を私生活に充当するなら、テレワーカーの生活にも一定のゆとりが生まれるが、営業所を廃して生産性の向上だけをめざせば、職場でも自宅でも一日中働く過酷な労働が出現するだろう。
「過酷な労働」の現実とは、一つが長時間過重労働の温床となるという現実、そしてもう一つが低賃金労働の口実となるという現実です。著者は、実在する8人のモバイルワーカー/在宅ワーカーへの取材を通し、この現実を淡々と描写します。
前者の代表例として取材されているのが正社員MR(Medical Representative/医薬情報担当者)です。高収入と引き換えに、いつでもどこでも仕事ができるモバイルツールを持たされ、暗黙のうちに深夜・休日を問わず労働することを強いられる、いわば“モバイル過重労働者”。
もう一方の後者の代表例が、いわゆるママさん請負在宅ワーカー。入力業務や情報処理業務を、子育てや家事の合間に低賃金で行う家計補助的な労働。いわば“低賃金電脳内職者”です。
良かれと思って導入するテレワークが、結果的に“モバイル過重労働者”や“低賃金電脳内職者”を産まないためにはどうすればいいのか。著者は、著者は、その設計と運用が困難であることは承知の上で、最低工賃制の導入が必要だと主張します。
つきつめていえば、「適正な報酬」も「適正な労働時間」と表裏の関係にある。そして在宅ワーカーたちの働きぶりが、発注元からもエージェントからも、不可視化されていること、また時給がどれだけ安かろうが、それを受注するかどうかは、ワーカーの自己裁量にまかされていることが惨状を隠蔽する。
それでは、在宅ワークの低報酬問題について、有効な対策はあり得るだろうか。私見ではあるが、「時給100円でも引き受けるのは本人の自由」というように極端な自己裁量の幅を、ある程度制限すべきだろう。
そのような観点からみれば、在宅ワークにも最低工賃制を適用することが有効と考えられる。
最低工賃制が有効であるためには、常にその時点で一般的な在宅ワークの内容を把握し、最低工賃の対象として迅速に指定し、適正な報酬額を決定するという作業を継続的に繰り返さなければならない。その作業を担当する部局は相当な人材や予算を要するだろうし、さらに制度が実効性をもつよう監視し、指導することも重要になる。
まさに、仕事という単位で人の“成果”を表現すること・測ることから逃げ、時間という単位でそれを代用し続けてきたツケを、どこでどうやって精算するかの問題といえます。
メンバーシップ型雇用に甘えてきた雇用慣行をジョブ型に切り替えるところからはじめなければならないとすれば、日本におけるテレワークの導入と浸透は、果てしなく遠く長い道のりなのかもしれません。









