昨日あたり相当話題になってたこのネタ。

サイバーエージェント社の内定式がリア充すぎると話題に(ネタ的な画像ちゃんねる)

日本の履歴書には写真貼付欄が当たり前のようにあり、面接では話の内容もさることながら身だしなみ・面構え・眼ヂカラを含めた容姿の良さも大きく影響するだろうことからすると、「見た目」が選考の一要素となっていることは否定しようもないと思うのですが、美男・美女という意味での「見た目」で採用するとはなにごとか!という批判は後を立ちません。

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この点、日本には差別を直接的に禁止する差別禁止法がなく、採用選考において見た目を合否の決定に用いることが違法や差別にあたるのか否か、法的な見解も不明確な部分が多いところです。しかし、行政解釈ではいくつか踏み込んだ言及があります。たとえば、職業安定法では、原則収集を禁じている個人情報に「社会的差別の原因となるおそれのある事項」という曖昧な文言入れて規制をかけているのですが、厚生労働省は行政解釈でこの例として「容姿、スリーサイズ等差別的評価に繋がる情報」を挙げています(職業紹介事業の業務運営要領)。また、男女雇用機会均等法の2006年改正時に定められた指針(平18告示614号)とその解釈通達(平18雇児発1011002号)では、事業主が労働者の募集採用にあたり女性についてのみ「自宅から通勤すること等」を条件とすることは均等法5条違反となり、この等には「容姿端麗」が含まれるとしています。

ただし所詮これらは行政解釈であり、それ自体に法的な効果はありません。結局、裁判に持ち込まれた場合に、企業の「見た目採用」は違法・差別にあたるとされる可能性があるのか?この議論に終止符を打つ、男気ある労働法学者お二人のご意見をご紹介します。

まずお一方は、神戸大学の大内伸哉先生。

その著書の中で、「会社は、美人だけを採用してはダメなのであろうか」と題した章で、このように述べられています。

雇用社会の25の疑問


会社が、美人だけを好んで採用するという方針をたてて採用することは、本当に法的に問題はないのであろうか。
本人の能力ではなく、容姿だけに着目するのは経済的な合理性を欠くことになる可能性はある。大阪大学の大竹文雄教授の『経済学的思考のセンス』(中央新書・2005年)には、興味深い「美人の経済学」が紹介されている。それによると、美人が労働市場で得をしているとすると、それは三つの場合がありうる。第1に、美人の生産性とは別に、美人を雇いたいという会社の好みから美人が高い賃金を得るという場合。第2に、顧客が美人の社員に相手をしてもらうことを喜ぶから美人の生産性が高くなり、その結果、賃金が高まる場合。第3に、女優のように美人であることそのものが生産性を高めた結果、賃金が高まる場合である。このうち、第2、第3の場合は、生産性の裏付けがあるので、美人が高い賃金を得ても、効率性の点からは問題ない。これに対して、第1の場合のように、生産性の裏付けがない場合には、容貌による差別を禁止したほうが経済全体の生産性を高めることになる。

1のように会社の好みで美男美女を選んでいる会社であっても、「一緒に働く従業員がモチベーションアップするから経済合理性は十分あるのだ」とでも反論がありそうです(笑)。

それでも、大内先生はこのように述べて、法的には問題がないから放っておけ、と一刀両断します。

生産性の裏付けのない採用をしている会社は、長期的には競争力が低下して市場から退出していくはずである。そうであるならば、あえて法的な介入をする必要はないであろう


そしてお二人目が、私の一番好きな労働法学者、森戸英幸先生。

森戸先生はもう少し視野を広げて、特に差別に厳しいアメリカにおいて、ワシントンDCで「個人の外見(personal appearance)」を理由とする差別を禁止する法律が、サンフランシスコ市では「体型(size)」に基づく差別を禁止する条例がそれぞれ制定されていること、それらに基づく裁判例なども紹介しながら、しかしこのように結論づけられています。

差別禁止法の新展開―ダイヴァーシティの実現を目指して


募集・採用時においては、三菱樹脂事件最高裁判決を前提とする限り、前掲の行政解釈を除き明文の規定がない以上、見た目や容姿、体型を募集・採用の基準とすることは違法とはいえないということになるだろう。業務上の必要性や職務関連性なども基本的には問題とされない。つまり、モデルとか俳優など、「見た目」が勝負の職種でなくても、別に「見た目」がよくなくても十分できる仕事であっても、求職者の「見た目」を採用基準とすることはできると考えられる。

一見すると、大内先生よりもかなり急進的なご意見のように見えますが、その裏には、森戸先生ならではのこんな思いが。

法が「見た目」など新しい形態の差別を禁止対象とするたびに、労働者から「消去」しなければならないものが増えることになる。性別を消し去った上で人に接することはもしかしたら可能かもしれない。しかし、その人の「見た目」を、顔や声や体や仕草をすべてないものとしてその人に接するということがはたして可能なのか。それらをすべて消し去ったら、もはやそれは「人」ではないのではないか。

選考において当然に行われる面接の際に見た目が情報として眼に入ることは避けられない以上、見た目を一切採用選考の基準に使わないと公言する企業があればそれは嘘になると思いますし、企業が「人」を選んでいる以上、積極的に見た目を評価するのも採用企業の自由であると私も思います。

一方で、「見た目採用」をしていることや、「見た目採用」者に対して彼/彼女の見た目の良さに果たして何を期待しているのかを採用企業が明示していないとすれば、そのことには違和感を超えて気味悪さを感じます。会社として、その人の見た目の良さをどう生かすつもりなのか、何をして欲しいと思っているのかが明らかにされないで採用されているという状態。それが、「見た目採用」への得も言われぬ抵抗感を生んでいる最大の原因なのではないでしょうか。