Facebookが、“Like”ボタンをはじめとするシンプルで強力なソーシャルプラグインと、その情報を他のサイトも利用できるようにするAPI等を発表し、webを新たなステージに引き上げようとしています。

▼Zuckerberg曰く: “Web全体が最初からすみずみまでソーシャルである状態を作りたい”(TechCrunch)
Facebookはユーザのリアルタイムストリームから拾った情報を、Webに焼き込む。“ストリームは短命だ”とZuckerbergは言う。“数時間後にはどこかへ消えてしまう。今のWebサービスは、そのユーザと特定のレストランとの意味あるつながりを把握しない”。これから、Facebookにはそれができる。Webはこれまでのような、単なるハイパーリンクの集まりではなく(Googleのような検索エンジンはこのことに依拠しているが)、ソーシャルコネクションの集まり、好きや嫌いの集まり、符号化され機械可読となったインタレストの集まりになってほしい、とFacebookは考える。
相互理解を求める本能が勝つか、防衛本能が勝つか
自分の趣味嗜好の変遷がFacebookを通じて符号化され、保存され、自分の生きざま=コンテクストとして可視化されるということに対しては、当然ながらプライバシーの観点から懸念も出始めています。しかし、この試みはそんな抵抗をも飲み込んで(まだFacebookが普及していない日本においても)浸透していくのではないかと思っています。人は本能的にコミュニケーションによる相互理解を求める生き物であり、その本能的な欲望の実現を加速こそすれ邪魔するものではないからです。
その一方で、Facebookが持つ特有の実名性が、本当に好きなモノ・事はLikeしない/できないという“Likeの取り繕い”現象を生むような気もします。そうなると、可視化されたコンテクストが信用できないものになったりする問題も発生しそう(それはまるで、企業との採用面接の場面で自分の履歴の良いところだけを伝え、都合の悪いことを隠し、詐称する求職者のように)。
家族、限られた友人、勤務先など、限られた関係性の中だけで交換されていたコンテクスト情報を、オープンに・便利に交換できるようするテクノロジーとプラットフォームの誕生を、人は相互理解の質の向上を求めて受け入れるのか、それとも拒絶するのか。
Facebookが切り拓いていくwebの未来を見据えながら、私自身もこの1年はストリームやコンテクストという新しい個人情報(プライバシー情報)のオープン化に対するビジネスと法のあり方について研究を深め、社会に向けて発信していきたいと思います。









