このエントリで伝えたいこと

  • フェア・ユースという考え方ですらもはや時代遅れで、創作の自由の邪魔にしかならないというレッシグ教授の主張に賛同する。
  • 著作権法は、著作物に権利をまず発生させた後で利用を規制するという発想から、一部の著作物にしか利用制限を認めないという発想に転換していくだろうし、そうあるべきだ。

レッシグの出した結論「著作物の利用制限は無くしてしまえ」

決して内容は難しくないにもかかわらず、読み終わるまでに3通勤分も消費したのは、ドッグイアコンバージョンレート(感銘を受けたページの端を折ってブックマークしていく確率)が高すぎたのがその理由。

REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方


この本でレッシグ教授が述べている主張を私なりに解釈すると、
今の著作権法では、過去の著作物をリミックスして新しい創作をする自由がまったくない。リミックスという活動のほとんどが、過去の著作物には何の迷惑もかけないのに。
著作権法による利用制限は“無い状態”をデフォルトとして、一部の特別なものだけ利用制限を認める、そんな法律に変更すべきだ。
ということかと。

日本では、ようやく著作権法への「ふぇあ・ゆーす」規定の導入を目指して議論をはじめて、しかもそれすら頓挫している段階。そうこうしているうちに、ご本家アメリカのレッシグ教授はもうフェア・ユースでは足らないと公言しはじめているわけです。言うなれば、著作物に権利をまず発生させたその後で利用を規制するという“フェアユース(fair use)”な発想から、一部の著作物にしか利用制限を認めない“フェア・レギュレーション(fair regulation)”な発想に転換していくべきだ、と。

この本全編を通して、それ以外のことはほとんど言ってません。しかも、『CODE』で見せたアカデミックで先鋭的な論考を重ねて行くアプローチはほとんど見られず、自らの体験談を中心とした感情的・煽動的な文体。それはまるでITジャーナリストの本を読んでいるかのよう。

だから、レッシグ信奉者でありこの翻訳者である山形浩生さんも相当拍子抜けしたみたいで、
さて、この不肖の訳者は、これまでレッシグの端緒をすべて日本語に訳してきた。そしてこれまで、レッシグの展開する議論について、一切違和感を覚えたことはなかった。
しかし本書は・・・・・・本書の中心的な主張の一つは、ぼくにはピンとこない。
と、訳者でありながら内容に懐疑的な解説をつけているほど(笑)。

しかし私は、レッシグ教授の感情的・煽動的な今回のアプローチは意図的なものだと感じました。論理的なアプローチでは、リミックスの自由が生む創作のすばらしさは伝わらない、自由な創作のすばらしさが伝わらなければ法律を変えようという力は生まれないと考えて、敢えてこんなアプローチに振り切ったのでしょう。おかげ様ですっかり感化されて、昨今の著作権法改正問題、特にフェア・ユース問題に対して今イチ立ち位置を決めかねていた私の頭の中もクリアになりました。

最後に、レッシグ教授自らがこのテーマについて語ったプレゼンテーション映像を贈ります。これを見れば、この本で彼が伝えたいことは十分に伝わると思います。



そして、このプレゼンテーションが受け付けられなかったあなたは、「ふぇあ・ゆーす」な立ち位置な方なのかも知れません。