この本の原題は“Just Culture(公正な文化)”。

twitterを一躍メジャーにしたUSエアウェイズ1549便ハドソン川奇跡の不時着。

s-Plane_crash_into_Hudson_River_(crop)Photo by Greg L

その飛行機を操縦していたサレンバーガー機長が図書館から借りて事故当日機内に持ち込んでいたこと、そして事故後ブルームバーグ市長から同書のコピーを永久貸与されたことでも有名な本の翻訳本です。

ヒューマンエラーは裁けるか



「公正な判断」は存在するか?

法律に触れる仕事に携わっていると、「司法システムや司法関係者というものは、その他のものに比べればよっぽど公正なものだ」と本人も周囲も思い込んでしまいがち。
そんな司法システムが有罪/無罪を決める過程に潜む構造的な弊害について、看護師のミスによる医療事故・パイロットと航空管制官のミスに関する裁判での実例を元に描き出し、警鐘を鳴らすのがこの本。

その弊害の元凶は何か。巻末の監訳者要約の言葉を借りれば
「悪質」、「怠慢」、「意図的」などを客観的に定義することは難しい
という点にあります。

司法システムと似たようなものとして、会社で懲戒人事を検討する際に、同じ難しさを感じることがあります。

懲戒対象行為として会社に与えた結果(損害)は同程度であっても、そうとわかっていてやった行為と、知らずにやった行為とでは、与える罰が異なるのが、懲戒人事の判断基準となるわけですが、

裁く側としての私が事実を突き止めようと関係者へのヒアリングを重ねるうち、「こういう結果になることが分かっていてやったのでは?」と問い詰めるような形となり、既に結果(損害)を発生させてしまったことが自明になっている従業員としては、本当は技術的エラーだったのに「分かっていたかもしれません」と規範的エラーを故意に起こしたような答え方をせざるを得なくなる状況になっていくのです。
そんなシーンに出くわす度に、自分がこの状況におかれたらどう行動したか?このヒアリングにどう答えたか?組織の構造上発生すべくして発生しただけで、誰も悪くないのでは?そんな中で公正な懲戒処分なんて下せるのか?と考えさせられてきた私は、この本が言わんとすることに思い当たる点は多々ありました。

ちなみに、私が懲戒を検討するときの私なりの公正さの保ち方は、
  • 故意や過失の認定は裁く側の仮説から入らざるを得ないので、いろんな人のいろんなものの見方を聞いた上で仮説を立てるよう気を付ける
  • 懲戒を受ける側の従業員には、私の判断そのものではなく、私が判断を導くにいたる過程に納得してもらえるように調査の徹底と透明性の確保を尽くす
しかないなと思っているのですが。

公正な判断となるかどうかは保証しようがないが、公正な判断を導こうと努力する文化は作りようがある
著者はこの本のタイトル“Just Culture”にそんな思いを込めたのだと思っています。

このようなややこしい仕事に携わるシチュエーションは少ないと思いますが、「論理的には正しくとも、それが必ずしも公正であるとは限らない」ということは忘れないようにしよう、そんなことを省みさせてくれる本としても有用な本です。