7月にはじめたtwitterも早3ヶ月経ちました。

最初は、ブログに書くほどのこともないネタやブログのネタの種みたいなことだけをヒトリゴトとしてつぶやいているだけでした。最近は、RTや@で人の話題に絡むことで、話題が広がっていく醍醐味をようやく味わえるようになってきたと感じます。

そんな中、昨日GREEの釣りゲー訴訟のことをつぶやいた後にふと考えたんですが、

今のところ、twitterって、いわば“言葉の釣りゲー”みたいなものと思っていていいのでしょうかと。


エサがつぶやきで魚がフォロワーで・・・そして自分も魚の一人

堀江さんや勝間さんといった不特定多数の魚群(=たくさんのフォロワー)を率いる大物がいる漁場(=TL)や、磯崎さんのようなある特定の珍しい魚群がいる漁場に近づいては、そこに向かって竿を振り上げ自分なりのルアーやエサ(=つぶやき)を投げ込む。

数分の間、息を潜めて待って、見事狙い通り獲物の魚(=大物によるRTや自分へのフォロー)をgetしては、満足感や達成感を味わう。もちろん、何も釣果がないこともしばしばだけど、そんなのは恨みっこなしで。

そのうち、日本製のエサ(=日本語のつぶやき)だけでは日本の魚(=日本人フォロワー)しか獲れないことに気付いて、サブアカとって遠洋に出て英語でつぶやいてみたり。

釣り(釣りゲー)との違いがあるとすれば、自分もその魚の一人であって、魚として釣り上げられる立場でもあるということでしょうか。
別に釣られる痛みはないし、おいしいエサが食べられた(=情報が得られた)と思っただけなので本人も釣り上げられたっていう認識もなしにフォローボタンをポチったりRTしているだけなんですけど、逆の立場で考えると釣れた!って思われてるんでしょうね。

そう考えていくと、twitterをやらない人から見たtwitterにハマっている人に対する気持ちも、なんだか分かる気がしてきました。自分がリアル世界の釣りにハマっている人を見て「釣りのどこが楽しいわけ?なんか虚しくない?」って思っている、あの感覚で見られているわけですね。

その点については、他人のエサ(=他人のつぶやき)が情報として自分の肥しにもなると思えるところが、たんなる釣りゲーとは違うんじゃないかなって自己弁護しているところですけど。