いつもの大前さんらしくないところが、あまりにも刺激的過ぎる本でした。
『「知の衰退」からいかに脱出するか?』
大前研一がついにサジを投げてしまった・・・
いつもの大前さんの本のパターンと言えば
1)「こんなこともできないのか」と読者(日本及び日本人)
を徹底的にこきおろす
2)「私はこんなことを実践して成功してきた」と自分自身の
成功体験を自慢する
3)「実はあなたが知らないだけで、世界は私と同じレベルを
標準的ビジネスマンが普通に実践している。それがグロー
バルスタンダードなのだ」と鼓舞する
4)「そんなダメな読者諸君でも、こうやれば立ち直ること
ができる」というメッセージで勇気付ける
ほとんどがこの起⇒承⇒転⇒結。
アンチ大前研一派は2の自慢話のあたりで耐えかねて(笑)途中で読むのを辞めるようですが、大前ファンにとっては恒例行事ぐらいなもので、気持ちよさすら感じるぐらい。今回の大前節はどんな感じ?ぐらいのつもりで読み始めました。
ところが異常事態発生。
この本においては、その大前研一王道パターンが崩されているのです。
この本には、ほとんど1の「こきおろす」要素しかないのです。
それはもう、徹底的に。
2、3については、ほんの少し言及していて一部「らしさ」をかすかに感じるものの、いつも最後には私たちを「勇気付け」てくれるはずの4の要素が全くないのです。
「日本はもうダメだ。以上。」
と言わんばかり。
そこには希望や救いがほとんど見当たりません。
先日ご紹介した『グローバルリーダーの条件』の中には前向きと受けとれる発言もあったものの、大前さんも渡辺千賀さんと同じように、日本をあきらめてしまったようです。
私の世代では日本は立て直せない、後はよろしく。
この本の記述の中で唯一とも言える、日本と日本人に対して前向きな期待を込めたメッセージがこれ。
日本人のメンタリティが右左に大きく振れるものなら、いつかそういう日は来るかもしれない。しかし、それを待っていたら、本当にこの国はダメになってしまうと思い、人生の後半は人材育成教育に捧げようと決めたのである。もはや「勇気付け」ではなく、ついに「願い」という儚いものに。
私が人材育成に執着するのは、こういう理由からだ。
1人でも多くの日本人が“目覚めた個人”になること。そうして、国に頼らず、自分の足でしっかりと立つ生き方をすること。世界で勝負する力を身につけること。そのうえで、生活者として豊かな人生を送ること。
それが私の願いである。
大前さんが人材育成に軸足を移したのは、「自分では、そして自分が生きているうちは、もう日本と日本人を矯正しきれない、間に合わない」とあきらめ、その後の世代に託したということに他なりません。
大前さんもまだ60代だし、あと10年は現役じゃないですか。あきらめるなんていつも問題解決にこだわる大前さんらしくないし、ダイイングメッセージにしても早すぎやしませんか?と思ったのですが、これは言うなれば「俺が本気で問題解決しようとしたところで、今の日本は10年やそこらで立ち直れる状況ではない」と暗に示唆しているということ。
あきらめられてしまった私たち世代は、この危機感をもっと重く受け止めるべきかもしれません。









