この本で著者が言う「発信力」を因数分解すると、
1)他人の意見の受け売りでなく、自分なりの意見を
  明確化する能力
2)それを正しく伝わる言葉(文章)にする能力

のこと。

この2つの能力を身につけるにはどうしたらいいか。
そのハウツーを、大学や受験予備校で小論文を教える「小論文の神様」が教えてくれる、というのがこの本です。

発信力 頭のいい人のサバイバル術 (文春新書)



発信型人間になるための心構えとテクニック

イントロダクション的1章の後に続き、2〜3章にかけて、1)の自分なりの意見を明確化する能力を開発するための、日本人の受信型人間的生き方を変える心構えと、発信をしやすくするテクニックを、以下の計25節に分けて解説します。
1 人間は可塑的である
2 セルフイメージにこだわるな
3 おもてに表れないものは存在しない
4 外見を軽視してはならない
5 君子は豹変すべきである
6 社交とは化かしあい
7 アピールするのは義務である
8 自分のことは棚に上げろ
9 上手に自慢せよ
10 反論するのは義務である
11 イエス・ノーを明確にせよ
12 面白半分の心を持て
13 満点をめざすな
14 「ヘタな鉄砲、数うちゃ当たる」方式で
15 たたき台と思え
16 真実は一つではない
17 待たないで、自分でコントロールせよ
18 自分の立場をはっきりさせよ
19 正義は方便である
20 問題発見能力をつけよ
21 敢えてひねくれよ
22 ギブ・アンド・テイクを心がけよ
23 人間との交際は利害重視に徹せよ
24 やれば、相手は何も言えなくなる
25 受信は盗むため

ご覧いただいて分かる通り、著者はちょっと刺激的な物言いで読者を鼓舞しようというタイプ。そういうノリが苦手な方は受け付けないかもしれません。私は素直に刺激されてしまうタイプなので大丈夫でしたけれど(笑)。

とはいえ、「よりよく生きるにはどうすべきか」といった抽象的なテーマの自己啓発書とは違い、あくまで「受信型に慣れきった生き方をいかに発信型に切り替えていくか」という視点でのアドバイス。実際中身を読んでいただくと、目次の文字面で見るよりも鼻には付かないかと思います。


作文と小論文はここが違う

続く4章では、2)の正しく伝える言葉(文章)にする能力を開発するための手法として、「小論文の書き方」を学ぶことを提唱しています。

その説明で、特になるほどなと思ったのがこの部分。
小論文とは何か。作文とどう違うか。
私は、「イエス・ノーを答えるのが小論文。そうでないのが作文」と教える。「ボランティア」について作文を書くとすれば、苦労してボランティアをした出来事を書けばよい。小論文を書くとすれば、「ボランティア活動をもっと広めるべきか」「ボランティアが日本で広まらないのは、宗教が原因か」といったイエス・ノーで答えられるような問題を作り、それについて答えるわけだ。
イエスなのかノーなのか。そうするべきなのかそうでないのかを曖昧にしたままでは、何も考えることができず、何も行動することができない。現実には難しいことがあっても、「理念としては、この方向に進むべきである」ということを明確にし、そのための方法の可否を明確にするのが考えるということだ。
したがって、論理的な文章を書こうとすれば、まずある命題が正しいかどうか、そうするべきかどうかという問題を立てることだ。そして、常にそのように書く練習をする。

つまり、発信する時は、まず自分が何を問題提起しようとしているのかを明らかにし、自分がその問題においてどちら側に立つのかも表明することが大事である、ということです。

特に、文章で立場を表明した発信をするときは、、
【基本型A: 結論⇒理由】
【基本型B: 体験⇒結論】
のいずれかの型を使い、

・3WHAT
 「それは何か(定義)」
 「何が起こっているか(現象)」
 「何がその結果起こるか(結果)」
・3W(WHY・WHEN・WHERE)
 「理由、背景」
 「いつからそうなのか、それ以前はどうだったか(歴史的背景)」
 「どこでそうなのか、他の場所ではどうなのか(地理的状況)」
・1H(HOW)
 「どうやればいいか(対策)」
に従って物事を分析して書いていけば、

自然と良い文章になる、というのが著者が提唱する発信テクニックの全容です。


イエス・ノーが分かりやすいのがいいブログ。けれど・・・

たしかに、いわゆるアルファブロガーと呼ばれる方々の発信を思い浮かべてみると、「今日は何やった」系の作文型のネタは確かにほとんどなく、「イエス・ノー」がはっきり示された小論文型の発信になっています。

作文型のネタは書かないように心がけてきたこのブログではあるものの、そんな中でも盛り上がるエントリと盛り上がらないエントリがはっきり分かれていることも、しばらく続けているうちに実感できるようになりました。
特に、読者の方々にコメントやメールなどで反応を頂くときというのは、決まって“自分の意見”“イエス・ノーの立場”をはっきり表明しているエントリを書いたときだったなあと、振り返ってみて思います。

一方で、ネガティブなネタは極力書かない、書評についても否定的な書評を書くぐらいならそもそも紹介しない、というのが自分のブログのポリシー。かなり意図的に「イエス」の意見だけを述べるようにしてきました(本当はもっと世の中の出来事や役に立たない本について「ノー」を叫びたい時もあるのですが、凄くガマンしています)。

著者のいう「いい発信」をするためには、少しネガティブに見える「ノー」の立場ももう少し表明した方が人間味もあっていいのかな、などと、ブロガーとしてのスタンスについても考えさせられました。


考えさせられたものの、著者には申し訳ありませんが、今日現在のところはやはり「何かを否定するネタは極力書かない」というスタンスを崩さないでいたいと思っています。
ニッチなブログとはいえ、ネガティブなオーラを撒き散らして不特定多数の方に不快な思いをさせるのもどうかと思いますので。

・・・って、これはこの本に対する「ノー」の意見表明なのかもしれませんね。