会社と個人がお互いに拘束しあう「サラリーマン」であり続けることへの違和感を感じた自分自身の体験から、“雇用”という束縛された関係ではない「企業と個人との新しい結びつき方」を探そうと、人材業界に飛び込んだ私。

そうやって飛び込んでおきながら、その“雇用”という束縛された関係にどんな違和感を感じたのか、“雇用”という束縛が企業とそこで働く個人との間にどんな問題を生むのかを、いまだにうまく言語化できないでいたのですが、

小飼弾さんのこの著書の一節に、その答えの1つを見つけました。


小飼弾の 「仕組み」進化論
小飼弾
ビンワード
2013-06-28



going concernを目的化することの危うさ

仕組み作りが仕事になってくると、会社の形態や個人の働き方も大きく変わってくるはずです。会社より、もっと小さなプロジェクト単位で働くパターンが増えてくるでしょう。書籍や映画の製作はフリーランスの人間が集まって行ない、作品が完成すると解散しますが、こういう働き方が他の分野でも出てくると思われます。
継続的に事業を行う企業体のことを“going concern”と言いますが、実は“going concern”を維持するのは大変なことなのです。従業員を雇ったら、仕事がなくても給料を払い続けなければなりません。工場を建てたら、元を取るまでモノを作り続けなければなりません。
しかし、解散を前提にプロジェクト単位で事業を行う、いわば“ending concern”ならば、こうした負担を少なくすることができます。

そうか、企業と個人が雇用という関係を結び、互いに「生き残る」ことを目的化するから、お互いにモチベーションを失ったまま惰性で仕事をし続けたり、果ては「生き残る」ために結託して社会的に非難されるような不祥事を起こすのかと。

大企業に限って信じられないような不祥事が起きるのは、生き残りたい従業員が増えすぎたあまり、組織全体としての「生き残りたい欲求」が臨界点を超えてしまうからなのかと。

企業と人が最初から「生き残る」ことを目的化しない“ending concern”な結びつきをうまく作ることができれば、両者が互いに健全なモチベーションを保って仕事ができ、組織的不祥事が発生しない世の中ができるのかもしれない。そのメリットだけをとっても、企業と人の新しい結びつき方を追求する価値はありそうだ。

そんな確信を得させてくれた1冊でした。


関連エントリ:
【本】フューチャー・オブ・ワーク(企業法務マンサバイバル)