体裁含めちょっとお洒落な感じを醸し出す“THEORY BOOKSシリーズ”の仮面をかぶっているものの、中身はとってもハードな法律書です。
職場の法律は小説より奇なり
徹頭徹尾の現行労働法批判
就業規則が持つ法律なみの効力があまりに強力すぎる点、
試用期間を設定する慣行はあれどもあまりに有名無実化している点、
解雇権の行使があまりに制約されている点、
派遣の雇用申込み義務の負担があまりに大きい点、
有期雇用の雇い止め判断基準があまりに厳格な点、
ホワイトカラーへの時間外手当支払い義務があまりに現実になじまない点、
1人のための少数組合も1000人の過半数組合も同じように相手にしなければならない団交義務があまりにアンバランスな点、
・・・
「日本の労働法の常識は世界の労働法の非常識」
「日本の労働法の常識は現場の労働実態の非常識」
そんなスタンスにたった批判が15コのテーマにわたって次々と繰り出されるこの本。
労働法を少しでもかじったことがないと、歯ごたえが大きすぎて噛み切れないかもしれない、そんな懸念を抱いてしまうようなハイレベルな法律論が展開されます。
法務パーソンや法学部ご出身のビジネスパーソンであれば読みこなせるとは思いますが、そうでない方がビジネス読み物的感覚で手に取るには、(体裁とはうらはらに)少しへヴィーな内容かもしれません。
杓子定規が生む不幸
まえがきより。
一つのサイズで、すべてに合わせる。「One size fits all」。杓子定規を英語で表現すると、このようになる。しかも、あわせるようにいわれた法律には、サイズに違いがないだけでなく、常識から外れたものや、古すぎるもの、欠陥のあるものまである。これでは現場が到底やっていけないということから、規制改革という名の規制緩和が始まった。
マスコミでは、規制緩和があたかも「諸悪の根源」であるかのように言うのが昨今の風潮となっているが、そこには曲解といってもよい大きな誤解がある。規制内容を常識に沿ったものに改め、杓子定規な規制の適用はやめる。規制改革の現場が求めたものはそれ以上のものではなかったし、一方で改革の現場は、求職者や派遣スタッフのために必要な改革とは何かを常に考える「志」も有していた。
労働法は関係当事者が多数存在するだけに、政治的な意味が多分に込められたような「批判のための批判」が多くなされがち。
私はそいういう実を伴わない批判は好きではありませんが、著者がこの本で指摘している労働法の欠陥は、現場で労働市場の需給バランスの是正を担うビジネスにいる立場の私が読んでも、きわめて常識的でほぼすべて同意できるものでした(ちょっと批判のボリュームが多くて面食らいましたけど)。
そんな杓子定規という欠陥を解消することで企業の雇用意欲が創出されたり、労働者の労働環境がよくなるのならば、今すぐにでもやればいい。しかしできない。それはなぜなのか。
そこには、「労働法で最低基準を高めに設定しておかないと、騙されて搾取されてしまう」ような労働者の存在を前提とする“弱者保護”の思想があると思います。
弱者の存在を疑ってみる
しかし、企業と労働者の間の情報格差がほとんど解消されつつある今、労働法で保護してあげなければ立ち行かなくなるような労働者=弱者が、本当に存在するのでしょうか。
人間は一人一人考える力を持っています。そして労働は生活の糧を得るために、そして生きがいとしても絶対に大切なものです。そんな大切なものについて考えることができないとか、考えることを放棄するような弱者がいるとは、私は思えません(そういった点に障害をお持ちの方については、サポートをする方が必要になるのは言うまでもありません)。
騙されて物やサービスを買わされお金を持ってかれたら取り返しがつかなくなる消費者契約と同じような発想で、過度な企業に対する規制や個人に対する保護をしてはいないか。
労働契約の関係においては、労働者の退職の自由さえ保証されていればそれ以上の保護はいらないという考え方もあるのではないか。
理想主義的と言われるかもしれませんが、労働者の考える力を信じ、杓子定規・過度な制約を緩める、すなわち使用者と労働者が契約自由の原則に基づいて、カスタムメイドな労働契約関係を結べる世界を目指してみる価値はあるかもしれない。そんなことを真剣に考えさせられた1冊でした。










ところで日本の労働者って、そんなに立場が強いでしょうか。どこの企業からでも引く手あまたという人ならばともかく、解雇を恐れて口をつぐんでいる労働者(労働者いう自覚の無い人も多いかも)は沢山いるのではないでしょうか。労働基準法等の存在を知らない人も多いのではないでしょうか。泣き寝入りしている人もあるのではないでしょうか。
さらなる企業と労働者の間の情報格差の解消にご助力いただたら、心強いことです。